WW2航空機の性能:WarbirdPerformanceBlog

第二次大戦中の日本軍航空機を中心に、その性能を探ります。

タグ:紫電改

ご無沙汰しております。先日(とは言っても結構前ですが)愛媛県愛南町にある紫電改展示館に行ってまいりましたので、今回はその紹介をしたいと思います。

紫電改展示館とは?
 この展示館は、愛媛県の最南端である愛南町に位置しています。ここでは展示館の南西にある久良湾に不時着水し海中に沈んでいた紫電改を1979年に引き揚げ、最小限の修復を施したうえで展示しています。国内で見られる紫電改としては唯一のものです。
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愛南町ホームページより

アクセス
 アクセスに関しては、はっきり言ってこの展示館へ行くのは大変です。公共交通機関で行くとなれば、JR宇和島駅からは直線距離で約30km離れており、宿毛駅からも15kmの距離がありますので、そこからバスまたはタクシーで行くことになります。個人的に一番楽だと思うのは、レンタカーを借りてしまうことです。私は松山でレンタカーを借りて海岸線をドライブしながら行きましたが、道中では宇和島城などの名所や美味しい海産物などのグルメを楽しむことが出来るはずです。もちろん昨今の状況を鑑みて、もし訪れるのであれば感染対策を万全にし、各自治体の出している指針に従って行動する必要があります。


展示館内部
 なんと、本展示館は無料で入館することができます。しっかりと手指消毒と検温を行った上で中へと進みます。
 展示館内部は紫電改を中心とし、様々な付随する資料がこれを囲むような構成になっています。また、二階建てではないのですが中二階のような部分があり、少し高い視点から紫電改の全体を見ることができるようになっています。
N1K2-J16..9
 写真を見て頂くと分かるように、紫電改の前には6名のパイロットの写真と無数の折り鶴が飾られています。この6名は、この紫電改が不時着した1945年7月24日の豊後水道上空での空戦で未帰還となった第343海軍航空隊の搭乗員たちです。この機体を操縦していたのは誰だったのかはっきりとは分かっていませんが、積極的に調べる必要もないかと思います。これは6名の搭乗員すべての慰霊の場なのです。
 そして、決して忘れてはならないのは、この日の紫電改との空戦で米戦闘機パイロットも3名が戦死しているということです。彼らも含めた9人の英霊への慰霊の気持ちを持って訪れるべきだと思います。
 この施設は通常の航空発物館とは異なり、追悼と平和学習の場です。館内の雰囲気も当然異なりますので、しっかりとそのことを認識したうえで見学しましょう。

機体のクローズアップ
 それでは紫電改を詳しく見ていくことにしましょう。そもそも紫電改とは海軍の局地戦闘機で、大戦末期に戦列に加わりました。大戦後半の時点で既に時代遅れの感があった零戦の「栄」エンジンの約2倍のエンジン馬力を持つ「誉」エンジンを搭載し、本土に襲来する米軍の新鋭戦闘機と互角に渡り合う資質を備えていました。

【機首】
N1K2-J機首
 早速、機首から見ていきましょう。本機はご遺族の希望で、なるべく当時のままの姿を残しているとのことで、最低限の修復しかなされていません。
 プロペラは先端のみが曲がっていますが、これは適切な姿勢で不時着水できたことを示しています。もし海面に激突していたならば、こんな風にはなり得ません。
 奥には誉エンジンが見えています。紫電改に搭載された誉21型エンジンは、離昇出力で2000馬力を発揮できるものでしたが、不具合が多く実際の運用では1800馬力相当へ運転制限が課されていました。この問題の解決のための努力は重ねられていましたが、運転制限はおそらく終戦まで続けられていたのではないかと思います。
 紫電改の機首は、陸軍の疾風と比較すると面長な印象です。紫電改は気化器用のインテークとオイルクーラー用のインテークをそれぞれエンジンカウルの上下に備え、機首ライン全体で見ると余計な出っ張りが出ないようにまとめられています。一方で、下記のイラストのように、疾風の機首は誉エンジンの直径に合わせてコンパクトにまとめられている一方で、オイルクーラー用の空気取入口を下部に出っ張る形で取り付けています。
airintakeKI84
 ここではこの設計の良し悪しに深入りはしませんが、もともと火星エンジンを搭載していた水上戦闘機「強風」から派生した紫電改のほうが、設計の自由度が少なく窮屈な印象です。例えば滑油冷却器を大型にする改修をひとつとっても、紫電改は空気取入口の形状を変えたりぎこちなく開口部を増やしたりしているようですが、疾風はシンプルに下部に突き出した部分が大きくなっただけです。
N1K2-J排気
 排出管については、ロケット効果および消炎効果を期待して単排気管となっています。この画像で見えているのは6本ですが、主翼の下側にもう1本隠れていますので、都合片側7本あり、合計で14本です。誉は18気筒ですが、下側の排出管は3気筒で1本となっているので、これで正しいのです。
 機首側面を少し窪ませてそこに排出管を並べるというのは、そこはかとなくFw190を想起させます。紫電11型や試作機ではこのような配置ではありませんでしたから、もしかしたら何らかの影響を受けたのかもしれません。

【胴体】
N1K2-J胴体
 紫電改の胴体は、紫電と比べるとかなりスリムになったものの、大きなフィレットのせいでどっしりとした印象を与えます。大抵どの飛行機にも「格好良い角度」と「格好悪い角度」がありますが、紫電改の「格好悪い角度」はおそらく斜め後方でしょう。
 ところで、フィレットに長方形の穴が見えますが、あれは搭乗する時に足をかけるところです。
IMG_8133 (2)
 長い間海中に没していたために、外表面を近くで見ると穴だらけです。気になったのが、穴だらけのオリジナルの外板よりも修復された部分の方がベコベコなのはなぜなんでしょう?
N1K2-J風防
 操縦席周辺です。風防の正面ガラスは防弾ガラスになっていました。開戦当初、日本海軍機は基本的に無防弾でしたが、紫電改は防弾ガラスを装備し、燃料タンクもゴムに覆われた自動防漏式となっています。風防の後ろにはアンテナマストが立っています。紫電改の登場したころになると、漸く日本海軍でも無線電話機がかなり実用的なレベルになっていたようです。
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 因みに、ここではその燃料タンクの実物を見ることができます。かなり珍しいのではないでしょうか。

【主翼】
N1K2-J主翼
 紫電改の主翼は、平面形は一般的なテーパー翼ですが、断面形はいわゆる層流翼を採用しています。基本的には紫電の主翼を引き継いでいますが、細部で少し改良したものを採用している可能性があります。
 主翼内に20mm機銃を各翼2門ずつ装備し、当時としては標準以上の火力を備えています。給弾方式はベルト式であり、主翼に余計なバルジを設けることなく装弾数を増加させることができます。
 補助翼は日本機に共通した細長いのものを持ち低速時の効きは良さそうですが、サーボタブもなく高速時は非常に重くなったものと推測できます。フラップはファウラー式で、有名な自動空戦フラップを備えていました。これは自機の速度と荷重を検知して自動でフラップを最適な角度で展開するというもので、これによって翼面荷重の増大にも関わらず良好な格闘性能を維持することが可能となっています。
N1K2-J主翼下面
 主翼下面には、空薬莢の排出口や爆弾の懸吊関係の装置が並んでいます。余計な空気抵抗を増やさないよう、上手く設計されているように感じられます。主脚はスタンダードな内側に引き込まれる方式を採用しています。紫電は中翼配置だったため複雑な伸縮機能を有していましたが、紫電改は低翼に改設計されたために地面との距離が縮まり脚の伸縮機能は不要となりました。

【尾翼】
N1K2-J垂直尾翼
 尾翼は羽布部分は失われており、骨組みがよく分かります。紫電改は初期型と後期型で垂直尾翼の面積が異なっています。この機体は面積が小さい方なので、後期生産型となります。
 強風や紫電の頃は、方向舵は下端まで達していなかったのですが、紫電改では改良されて方向舵面積が増加しています。こういったところでも操縦性の向上が図られています。

N1K2-J水平尾翼
 水平尾翼も、垂直尾翼同様に羽布部分が失われています。水平尾翼にも垂直尾翼にもトリムタブがついています。尾翼部分はオーソドックスな構造です。

【全体】
N1K2-J全体
 改めて全体像を見てみましょう。やはり実機は格好良いですね。これは個人的な意見ですが、疾風は非常に綺麗に設計されており中島飛行機の単発レシプロ戦闘機の集大成といった感じですが、紫電改はこれに対して粗削りで少し無骨な印象です。これは開発の歴史を考えると仕方のないことかもしれません。川西航空機の集大成といえば開発中止になってしまった「陣風」でしょう。こちらは紫電、紫電改の経験を基にスマートな飛行機となっています。実際に飛んだ姿を見たかったです。

まとめ
 さて、今回は愛南町の紫電改展示館の紫電改を紹介しました。この記事では簡単な実機の紹介のみ行いましたが、それ以外にも引き揚げられたその他の装備品やジオラマ、映像資料や亡くなった搭乗員の紹介など、興味深い展示が充実しています。ぜひ、実際に訪れて見学してみてください。
 また、本展示館は無料です。館内にはお土産コーナーがありますので、こちらで何か買っていくとみんなハッピーになれるのではないでしょうか。ちなみに私は「三四三空隊誌」を購入しました。次はアメリカの紫電改を見に行きたいな、なんて思っています。もちろん、今度新しく出来る筑波の博物館も楽しみです。皆さんはどんな飛行機を見てみたいですか?

 今回も最後までお読みいただきありがとうございました。ご意見ご感想お待ちしております。皆さんも、当然健康が第一ではありますが、良いところですのでぜひ愛南町を訪れてみてください。

はじめに
 みなさんこんにちは。一番最初の考察記事「紫電改の最高速度について」から1年半近くが経過しましたが、何故か最近よくアクセスを頂くので、今の私の紫電改の最高速度性能に関する考え方を再整理してみようと思います。
 ちなみに本記事はまったく私の予想(妄想?)に基づきます。「もしかしたらそうかもな~」くらいの感覚でお読みください。

 当該考察記事にてご紹介したように、紫電改の最高速度とされるものには様々な数値があります。例えば、高度5600mで594km/hというもの。高度6000mで620km/hというもの。同じく6000mで644km/hというもの。こういった数字を前回の記事ではただ並べただけでしたが、その後の誉エンジンの運転制限に関する記事の内容も加味して、これらの速度値がどのエンジンを搭載して発揮されたものなのか、今一度考えてみることにします。

データ分類
 さて、紫電改の最高速度値については概ね3つのタイプに分けられると考えています。
①:321kt(594km/h)@5600m・・・公試結果
②:330~335kt(610~620km/h)程度@6000~6500m(?)・・・操縦参考書、横空資料等
③:345kt(640km/h)程度@6000m(?)・・・操縦参考書、菊原氏の戦後論文

そして、これらの三つの速度の差は異なる三つのエンジンによって生じたものと考えています。すなわち、
①:誉11型
②:誉12型(≒運転制限下の誉21型)
③:誉21型
です。

三種類のエンジンの性能はグラフに表すと以下のようになります。
発動機
このグラフについては海軍等の一次資料に基づいていますので、ある程度の信頼性は保証します。
そのうえで、紫電改の水平最大速度のグラフを私のフィーリングに基づいて作成してみたところ、以下のようなものが出来上がりました。
速度
 誉11型を示します。誉11型の2速公称高度は5700mですので、実測値5600mで594km/hというのはかなり高い確率で誉11型エンジン搭載時の性能と考えます。

 一方緑は誉12型です。610km/h前後を発揮したとする高度が6000mとなっている資料がほとんどなのですが、誉12型の公称高度は概ね6500mとされています。但し戦時中のエンジンの公称高度は計算よりも実際が下回ることも多かったとされており、6000mだといささか低すぎるかもしれませんが、実際のところは6000~6500mの間だったということで幅をとっておこうと思います。誉11型搭載時からの速度向上は、馬力の向上及び公称高度の向上によって得られたものと考えています。
 ちなみに、約595km/hから約610km/hへの誉エンジンの違いによる速度向上というのは、天雷の例が参考になるかもしれません。天雷の最高速度は高度5600mにて322kt(596km/h)とされており、紫電改の3つの速度のうち、①に非常に近いことが分かります。つまりこれは誉11型搭載時の性能の可能性が高いと考えます。一方で、『航空情報』の1951年12月号内の馬場一夫氏による「試験飛行回顧録」ではその最高速度を335kt(620km/h)@6500mとし、②とほぼ同様となっています。また、エンジン運転条件は誉10型と同様の+250mmHg、2900rpmとしているのです。それに加えて過去記事の簡単な推算を考慮すると、①から②への速度向上は誉11型から誉12型へエンジンを換装したことによるものと考えるのが妥当な気がします。

 赤は誉21型を示します。ただしこれは数ある誉21型エンジンの性能データのうち、1944年末頃から見られる馬力性能が低い方のデータを使用しています。なお、操縦参考書内の348kt(644km/h)@6000mは良い方のデータを使っているのではと考えています。また、紫電改の設計者である菊原静男氏は『航空技術の近況と日本における再出発』というタイトルで航空学会誌に寄稿しており、その中に示された表にて紫電改の最高速度を高度6900mで640km/hとしています。この「6900m」という数字がどうにも曲者で、おそらく6000mや6400mの誤記のような気はしているのですが、その発動機馬力は1620馬力としています。644km/hはやや過剰としても、誉21型搭載時の紫電改は630~640km/hを出せるものと思っても良いのではないでしょうか。

 さて、このように考えてみると、3種類の最大速度データと3種類のエンジンの馬力グラフ、3種類の水平最大速度グラフがなんともうま~くマッチングしているのです。

まとめ
 ということでまとめです。今のところ私は、紫電改の最高速度データは以上のような3種類に分けることができると考えており、それはエンジンの違いによるものと考えています。速度のグラフはあくまでイメージであってなんら厳密な計算に基づくものではありませんが、馬力グラフおよび最高速度データと上手くはまります。
 今後矛盾したデータが見つかれば一気にひっくり返る程度の推測で、皆さんに新たな資料をお示しできるような記事ではありませんでしたが、なにか皆さんの考え方のヒントになれば幸いです。

 最後に、私としては自分自身に都合の良いデータだけ抜き出しているつもりはありませんが、なにか内容についてご指摘ご意見等ありましたら遠慮なくお願い致します。ご感想もお待ちしております。

それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

はじめに
過去記事『〈考察⑧-2〉紫電の性能について』にてあるコメントを頂きました。「誉搭載機の運転制限前後の性能が単純な割り算の3乗根になっているのでは?」という推察です。

一般に、速度を2倍にしたいなら馬力を8倍にしなければならないと言われます。ただし、飛行機の場合は高度による空気密度の変化があるため単純な3乗根の計算では正確な数字は出ません。

そこで、自分なりに誉エンジン搭載機の運転制限前後の性能を推定してみようと思ったのが今回の記事のきっかけです。これからも皆様の感想やコメントをお待ちしております。たいへん励みになります。


基本の計算式
という訳でいろいろと調べてみたところ、航空機の水平速度は以下のような計算で求めることができるようです。(手書きで恐縮ですが、一番見やすいと思ったのでこうしました)
速度計算式
凡例

まずは、堀越・奥宮『零戦』に記載されている雷電の数値を使って計算の練習をしてみます。
IMAG0014
これによると、馬力は高度5450mで1450PS、抗力係数は0.0265、プロペラ効率は0.74で最高速度は314ktという計算となっています。なお、雷電の翼面積は20.05m^2です。また、高度5450mでの空気密度は0.7013kg/m^3とします(ここから拾いました)。

そうすると、
V^3=8813*(1.225/0.7013)*(0.74*1450)/(0.0265*20.05)
      =31088193...
となり、
V=314.43...
というわけで314ktという数字を導き出すことができました。


それじゃあこんな感じで進めていきます。
なお、誉エンジン各型の公称2速性能は以下のようなものとします。
ハ45-11(誉11型) 1440PS@5700m
ハ45-12(誉12型) 1495PS@6550m
ハ45-21(誉21型) 1625PS@6100m

紫電改の性能を推測する
まずは紫電改の性能から。
本機はハ45-11搭載時に高度5600mで321ktを発揮したと仮定したうえで、まずはη/Cxを求めます。
321^3=8813*(1.225/0.689871)*(1440/23.5)*η/Cx
η/Cx≒34.5

このη/Cxを使って、馬力や高度などの条件を変えながら計算していきます。
なお今回はエンジン(プロペラ)を換装して最高速度に変化があってもη/Cxは変わらないものとしています。

ハ45-12装備時
V^3=8813*(1.225/0.620821)*(1495/23.5)*34.5
V≒337kt(624km/h)@6550m

ハ45-21装備時
V^3=8813*(1.225/0.652828)*(1625/23.5)*34.5
V≒340kt(630km/h)@6100m

という訳で、ハ45-12装備時の紫電改は620km/h少々は出せそうです。実際に運転制限下の紫電改試作機が620km/hを発揮したことがあるようですが、この計算結果を見る限り誉12型相当の運転条件であった可能性が高そうです。
一方で運転制限解除後の誉21型搭載機の計算結果は630km/hに留まっています。操縦参考書記載の644km/hという数字はやや過剰とも考えられます。

紫電の性能を推測する
続いて紫電です。
ハ45-11搭載時に高度5900mで315ktを出したと仮定した場合、計算したところη/Cxは約31.5となりました。そのうえで、
ハ45-12装備時は約327kt(606km/h)@6550mという数字が、
ハ45-21装備時は約330kt(611km/h)@6100mという数字が得られました。

以前の記事で紫電の最高速度については325kt(602km/h)というものもあると紹介しましたが、誉12型搭載時の計算結果にかなり近いことが分かります。
なお、運転制限を解除しても紫電の速度は当初の計画値から40km/hほど遅く、しかも運転制限下の紫電改とさして変わらないことが分かります。

疾風の性能を推測する
今度は四式戦闘機「疾風」です。
疾風はハ45-12搭載時に高度6550mで624km/hを発揮したと仮定したうえでη/Cxを計算してみると、約30.9という数字になりました。

そこで、ハ45-21装備時の最高速度を求めてみると、約341kt(632km/h)@6100mとなりました。
疾風試作機が運転制限ではない運転条件で、高度6120mで631km/hを発揮したとされていますから、計算値と実測値とがよく合っているようです。

一方でハ45-11装備時の性能も計算してみると、約322kt(596km/h)@5700mという数字が出てきました。
実は、個人的には疾風にもハ45-11搭載機がいたのではと考えています。なぜなら、陸軍の技術関係者のメモに疾風の最高速度が583km/hとか595km/hなどという数字が見られるからです。どうにも遅すぎるこの速度は、ハ45-11を装備していたからだと考えると辻褄が合うのです。

ところで、乙型試作機が高度6000mで660km/hを出したという原資料不明の話があります。しかし、今回の計算結果では30km/hほど足りません。集合排気管が単排気管になり、プロペラ直径が10cm伸びたところで30km/hの差を埋めることはできるのでしょうか?少し疑問が残ります。

おわりに
これで今回の考察は以上となります。なお今回の計算結果は多くの仮定を含んだあくまで「推測」であってある種の「遊び」の域を出ません。それでもいくつかの示唆を得ることはできるのではないかと思っています。皆さんも今日紹介した計算式を使って遊んでみてはいかがでしょうか。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

はじめに
 前回「考察④」にて運転制限下の誉21型の性能について考察し、仮説として紫電・紫電改の性能は誉11型(もしくは誉11型と同様の過給機設定の誉21型)搭載機で計測され、疾風の性能は誉21型の運転条件を誉10型シリーズと同等まで下げた状態(=誉12型)で計測されたのでは、というものを提示しました。
 今回はそれに関連して書き足したいことがあったので「考察④-2」という形にしました。

「仮称一号局地戦闘機」に搭載の発動機は誉11型
 先回の考察を書いたあと紫電関係の本を見ていたら、紫電のプロトタイプである「仮称一号局地戦闘機」はNK9B(誉11型)を装備と書いてありました。その後試験を続けていく中で誉21型を搭載した試作機もあったことでしょう。結局量産機は誉21型装備となったようです。ですから紫電の最高速度として知られる570km/h(5600m) や 583km/h(5900m)が試作機の成績であって誉11型搭載機での性能であっても何らおかしな点はないことになります。
 となると、誉21型を装備した量産機は運転制限を課されて実質誉12型を搭載していたことになりますから、紫電の量産機は試作機と比べて最高速度を発揮できる高度が上がり、最高速度自体もちょっぴり上がっている可能性があります(空気が薄い方が抵抗が少ないので)。
 紫電改については試作機がどの発動機を積んでいたかまだ確認が取れていません。引き続き調べてみたいと思います。



はじめに
 海軍では「誉21型(NK9H)」、陸軍では「ハ45」、統合名称では「ハ45-21」と呼ばれたこのエンジンは非常にコンパクトな形状でありながら離昇2000馬力を達成した「奇跡のエンジン」です。しかしながら数々のトラブルに見舞われ、実戦で2000馬力を発揮したことはほとんどありませんでした。すなわち、100オクタン燃料の使用を前提として開発されたものの日米開戦によって高オクタン価ガソリン安定供給は不可能となったことや(水エタノールで代用)、各気筒に燃料を均等に上手く配分できないなどの技術的トラブル、希少金属の不足やそもそもの日本の工業基盤の弱さなどの要因が合わさって不具合が多発したために、運転制限を課して1800馬力程度まで性能を下げて運用していたのです。誉21型エンジンを搭載した紫電改や疾風は2000馬力エンジン搭載機としては控えめな性能となっているのは、運転制限下で性能が計測されたからなのです。
 ところで、運転制限下の誉21型の性能とはどういったものだったのでしょうか?陸軍と海軍とでは違いがあったのでしょうか?これが今回の私の疑問です。

誉21型の性能
まず誉21型の性能についてです。資料よって数字に差がありますが、主なものを以下に列挙します。

 離昇馬力/回転数/吸気圧       公称馬力/回転数/吸気圧/高度
①   2000/3000/+500            1900/3000/+350/1750m 1700/3000/+350/6400m
②   1990/3000/+500            1860/3000/+350/1750m 1625/3000/+350/6100m
③   1850/3000/+450            1865/3000/+350/1500m 1675/3000/+350/6100m

①と②は紫電改の取説や操縦参考書からのデータで③は中島の疾風データからになります。陸軍機は離昇出力を海軍よりも抑えていたのでしょうか。一方で公称馬力は似たような数値になっています。(なぜ微妙に違うのかは分かりませんが)
もしエンジンが完調であれば高度6000mで紫電改は644km/hを、疾風は660km/hを発揮できるとされています。

運転制限下の紫電、紫電改と疾風の速度性能
しかしながら、前述のとおり誉21型エンジンには運転制限が課され離昇約1800馬力の誉10型シリーズ(陸軍では「ハ45特」)相当まで性能を下げざるを得ませんでした。その結果得られた速度は以下のようなものでした。

紫電11型  570km/h(5600m) や 583km/h(5900m)
紫電改   594km/h(5600m) や 620km/h(6000m)
疾風    624km/h(6550m)

ご覧のように、海軍機は5600m~6000mで、陸軍の疾風は6550mで最高速度を発揮していることが分かります。この高度差はどこからきたのでしょうか。同じエンジンを搭載した機体であっても異なる設計であればこれぐらいの高度差は出ることがあります。ただ、陸軍向けと海軍向けでエンジンのセッティングが異なっている可能性も大いにあります。運転制限下でのエンジン性能はどれくらいだったのでしょうか。

誉10型の性能
運転制限の目安とされた誉11型・12型の性能と、操縦参考書中の運転制限下のハ45の性能を以下に列挙します。

      離昇馬力/回転数/吸気圧      公称馬力/回転数/吸気圧/高度
誉11型  1820/2900/+400     1650/2900/+250/2000m 1440/2900/+250/5700m
誉12型  1825/2900/+400     1670/2900/+250/2400m 1495/2900/+250/6550m
ハ45   1850/3000/+400     1680/2900/+250/2300m 1500/2900/+250/6500m

こう見ると誉12型と運転制限下のハ45の性能は高度性能がかなり似通っています。というのも、以下のように誉21型やハ45と誉12型の過給機は増速比が同じものなのです。

    羽根車直径     増速比
誉11型    320mm  一速:5.47 二速:7.49
誉12型      320mm  一速:5.81 二速:7.95
誉21型      320mm  一速:5.81 二速:7.95
ハ45       320mm  一速:5.81 二速:7.95 

ということは誉21型の運転条件を誉10型と同じ条件まで落とすと、自然と誉12型の性能と類似することになります。誉12型と運転制限下のハ45の性能が似ているのは当然なのです。また疾風の最高速度は誉12型の全開高度である6550mで計測されていることも納得できると思います。
 一方で、紫電や紫電改の最高速度は6000m以下で計測されました。大概の飛行機はエンジンの全開高度付近かその上で最高速度をマークする傾向にあります。そう考えると、これらの最高速度は全開高度が5700mの誉11型を使用したときに発揮されたと考えるとしっくり来ないでしょうか。

紫電改は誉11型を載せていたか
 そこで私は仮説を立てました。すなわち、「紫電や紫電改の最高速度は誉21型の運転条件を誉10型シリーズと同等まで下げた状態で計測されたのではなく、そもそも誉11型を装備していたか、もしくは誉21型の過給機の設定を誉11型と同様にした状態で計測された」のではないでしょうか?一方で疾風は誉21型エンジンの運転条件をそのまま下げた状態で速度の計測を行ったのではないでしょうか。
 一切文書等での裏付けのない勝手な想像に過ぎませんが、皆さんはいかがに思われますでしょうか?


最後までお読みいただきありがとうございました。
ご意見、ご指摘、ご感想等コメント欄にいただけますと幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

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