WW2航空機の性能:WarbirdPerformanceBlog

第二次大戦中の日本軍航空機を中心に、その性能を探ります。

タグ:エンジン

はじめに
 みなさまご無沙汰しております。今回は久しぶりの考察シリーズということで誉発動機の性能について考えてみます。タイトルにもある通り、今日の記事では考察⑱で行った誉21型の公称高度の変化とその理由について深掘りしていきたいと思っています。
 さっそくですが考察⑱では、
(1)誉21型の公称高度が時期によって大きく三つに分けられること
(2)そしてその二つめから三つめへの変化の理由に気化器の改修が関係しているのではないかということ
(3)また誉10型についても同様の公称高度の変化が起きているのではないかということ
の3点の可能性を指摘しましたが、あくまで指摘しただけで具体的な仮説を立てるというところまで論を進めることはできませんでした。しかしながら、今回の記事ではこの公称高度の変化+馬力性能の変化についてある程度の根拠をもとに仮説を提示してみたいと思います。

 ちなみに、ややこしくなりますのでこの記事では制式名称付与前であっても「誉21型」、「誉12型」等の名称を用い、略符号や試作名称は必要な場合を除き使いませんのでご了承ください。

誉21型の最初期の性能について
 前回記事で指摘したように、誉21型の性能は以下の3種類のものに大別できると考えています。

【初期】 離昇:2000PS 公称:1880PS@2000m前後 1700PS@6000m前後
【中期】 離昇:2000PS 公称:1900PS@1800m前後 1700PS@6400m前後
【後期】 離昇:1990PS 公称:1860PS@1750m前後 1625PS@6100m前後
※なお、上記の数字は資料によって馬力で10~20PS、公称高度で100~200mの差がありますので「前後」という表示を付けさせてもらっています。

 さてこのうち、あくまで私の知る限りですが、初期のものは昭和17年3月から、中期は昭和18年2月から、後期のものは昭和19年12月から確認することができます。これらのうち、まずは初期の性能がどういった性質のものかを考えてみます。

 初期の性能は、おそらく完成前の推定値と考えられます。その根拠のひとつは、昭和17年3月1日付で海軍航空本部によって作成された「試製発動機一覧表」という資料です。この資料の中では、誉21型は「十五試ル号改一〇一(NK9H)」として離昇2000PS、公称1880PS@1800m/1700PS@5800mの性能が与えられており、記事中に「製造中」と書かれているのです。

 ところで、誉21型の試作1号機の完成時期はいつなのでしょうか?調べてみたところはっきりとしたものは分かりませんでしたが、こちらの性能表によると昭和17年10月には地上運転試験が行われていますので、1号機の完成は昭和17年3月と10月の間のどこかということになりそうです。

 ちなみに誉21型試作1号機の完成以降も初期の性能は一時資料の中に見ることができます。例えば昭和18年1月作成の「試作機一覧表」では紫電や彩雲の欄で1700PS@6000mの表記があります。この資料内では性能の根拠を推算書や性能計算書に求めていますが、その最高速度発揮時の高度が6000mになっていることからも、性能計算書の作成時期から考えて1700PS@6000mは誉21型実機完成前の推定性能と考えてよいでしょう。

 そして、中期の1700PS@6400mこそが試作機による実測性能であったと考えられます。その根拠としては、先ほど示した性能グラフに加えて、昭和18年2月17日に中島飛行機が作成した「陸海軍試作発動機要目性能一覧表」を挙げたいと思います。この資料中では「ハ45(NK9H、NK9K)」の性能が「実測性能」として表記されているのです。

 以上のことから、初期の性能は試作機完成前の予想性能で、中期の性能は試作機完成後の性能であると考えられそうです。また、この時の性能は、圧縮比8.0、3000RPM、+350mmHgのフルスペックの性能だといえます。
※ただし、この実測性能は地上運転の結果求められた高空性能であって飛行試験の結果得られたものではないと思われます。

誉12型の性能
 続けて誉21型の後期の性能を考える前に、少し脱線して一度誉12型の性能について考えてみたいと思います。

誉12型の性能は、
 離昇:1825PS 公称:1670PS@2400m 1495PS@6550m
というものが一般的です。
 しかし、前回の記事では、奥宮・堀越『零戦』内の、1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』にて、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能1570馬力@6850mとしているデータや、NK9H-B(=誉12型)の性能を1520馬力@6800mとしている愛知航空機関係の資料をご紹介しました。これらの存在をどう考えればよいのでしょうか。

 ヒントは意外と手近なところにありました。何度も引用している誉21型の性能グラフから誉12型の運転条件で性能を拾ってみると、以下のようになりました。

離昇:1825PS@0m (2900RPM、+400mmHg)
公称:1700PS@2450m 1560PS@6850m (2900RPM、+250mmHg)

 いかがでしょうか。『零戦』内に出てきた誉22型運転制限下の性能と10馬力の差はありますが、ほとんど同一の2速公称高度を得ることができました。すなわち、この1560PS(1570PS)@6850mという数字は、誉21型の中期の性能と対応したものである、圧縮比8.0の時の性能であるといえそうです。

 となると、愛知航空機関係の1520馬力@6800mとしている資料は、圧縮比7.0の誉12型仕様の性能だと考えると辻褄があいそうです。この愛知航空機関係の資料というのは愛知航空機の尾崎紀男技師のノートのことで、昭和19年2月20日の『NK9BハB7用ハNK9BHトナル』との項で以下のような性能を読み取ることができます。

離昇:1760PS
公称:1790PS@2350m 1520PS@6800m
※ただし、公称1速の1790馬力は明らかに1690馬力の間違いか。また、別のページには離昇1780馬力、公称2速1530馬力と読み取れる部分あり。

これらの情報から、中期のフルスペック時および運転制限時の誉21型の性能、および誉12型の性能について考えを整理することができたかと思います。それでは、いよいよ公称高度の低下とそれに伴う性能の低下について考えていきます。

公称高度低下の理由を探る
 前回の記事(考察⑱)では、中期から後期にかけての2速公称高度の低下は気化器の改修にあると考えました。というのも木村昇陸軍技術少佐のノートに、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述があり、それが中期の6400m→後期の6100mへの変化と一致するのです。そして、その改修内容とは、航本機密第148号によって指示された、スロットル部円周から噴出させていた燃料を、中央部に設けた噴出管から噴出させる改造のことだと推理しました。
 ただ、公称高度の低下に関係しそうな改修はもうひとつありそうなのです。先ほど紹介した尾崎技師のノート『NK9BハB7用ハNK9BHトナル』の項を再現したものが以下の画像となります。
NK9BはB7用はNK9BHとなる(19-2-20)
 赤字のものが紹介した先ほど誉12型の性能ですが、注目してほしいのは緑色の線です。メタノール・スリンガー噴射によるものと推察されるこの線によって、公称高度が1速は150m、2速は400m低下していることが読み取れると思います。もしかしたら、木村少佐のいう「気化器改修」とは、メタノール噴射の翼車噴射を指している可能性があるのです。
 以下の画像は誉発動機の取扱説明書からの抜粋です。もし、翼車噴射改修前の噴射方式を「中央噴射」と呼称していたとすると、100mの差はありますが尾崎技師ノートと木村少佐ノートは同じものを指していることとなります。
誉12型取説
 また、1520PS@6800mが翼車噴射時の性能ではないのなら、逆算的に中期の誉21型の性能である1700PS@6400mと運転制限時の性能である1560PS@6850mも翼車噴射時の性能ではないことになります。実際、翼車噴射は誉21型試1号機からの仕様ではなかったようですので、辻褄はあいそうです。
 (ちなみにこの尾崎技師ノートでは誉11型の性能が従来知られているものよりも若干良くなっていますが、それについて考えるのはまたの機会ということで。)

 ちなみに誉12型の性能で注意しなければならないのは、尾崎技師ノートの1520PS@6800mの全開高度を6550mに下げても広く知られている誉12型の性能にはならないという点です。
 以下の画像は尾崎技師ノートから作成した2つの誉12型の性能グラフです。黒い実線が一般的に知られる誉12型の性能(性能A)で、赤い点線が翼車噴射未実装の誉12型の性能(性能B)を示しています。(性能Bの公称高度以上の馬力はデータがありませんでした。)
誉12型性能比較
 見てわかるように、地上公称馬力はほとんど同一なのにも関わらず高度馬力は性能Aが性能Bをわずかに下回っています。これは公称時の機械効率等が悪化していることを示しています。一方で離昇馬力は性能Aが性能Bを大きく上回っており、なんとも不思議です。これは私の勝手な推測ですが、公称地上馬力が同じなことから地上馬力自体は実測値だが、離昇、高度馬力の計算が性能Bでは単純な計算式が用いられ、性能Aではより詳細な検討が行われたのではと考えています。

後期の誉21型の性能
 さて、最後に誉21型の最終的な性能について考えてみます。以下は誉21型の中期後期の性能を比較したものです。一見して分かるように、後期中期と比べて公称高度が下がっていることに加え、全高度にわたって馬力も劣っていることが見て取れます。すなわち、両者の性能差は公称高度の低下ではなく何か別の要素が関係していると言えます。
誉21型性能比較
 この性能低下の要因として真っ先に挙げられるのが圧縮比の低下ではないでしょうか。手前味噌で恐縮ですが、考察⑰にて量産型の誉21型の圧縮比は7.2であった可能性を指摘させていただきました。圧縮比を8.0から7.2にした場合の具体的な馬力の変化がどれくらいになるかは分かりませんが、参考までに中期誉21型(圧縮比8.0)から誉12型(同7.0)への2900RPM、+250mmHg時の地上公称馬力性能の減少具合を比較してみると、
 1速:1550÷1570=98.7% ⇒ 1.3%の馬力減
 2速:1235÷1280=96.5% ⇒ 3.5%の馬力減

続いて中期誉21型(圧縮比8.0)から後期誉21型(圧縮比7.2?)への3000RPM、+350mmHg時の地上公称馬力の減り具合を比較してみると、
 1速:1760÷1790=98.3% ⇒ 1.7%の馬力減
 2速:1375÷1420=96.8% ⇒ 3.2%の馬力減
となり、かなり近い数値を示しています。これだけで圧縮比が原因とは言えませんが、ともかく後期の誉21型には馬力の低下に関わる何らかの仕様変更があったことは間違いないと思われます。

まとめ
 というわけでまとめに入りたいと思います。今回の記事ではまず、誉21型の性能を初期・中期・後期の3つの時期に分け、初期は実機完成前の推定性能であり、中期は実機完成後の実測性能であると考えました。続いて、誉21型の性能グラフと尾崎技師ノートのデータを参照しながら、2900RPMの運転条件での、圧縮比8.0のときと7.0の時の性能を比較し、さらに公称高度低下の原因がメタノール噴射方式の変更にあるのではないかと考えました。最後に、誉21型の後期の性能は公称高度の低下に加え、全高度域での馬力の低下が見られることを確認し、それが何らかの仕様変更に基づくものと考え圧縮比の低下がその最たる候補なのではないかと考えました。

 これらの仮説は誉21型の性能の変遷を矛盾なく説明することができそうですが、当然ながらまだまだ多くの謎が隠されています。例えば、昭和18年12月付で作成された「誉発動機取扱説明書」では、誉21型を翼車噴射式としながら2速公称高度を6100mではなく6400mとしています。いっぽうで誉12型の2速公称高度は6550mとなっています。
 また、考察⑱で公称高度低下の原因と考えた気化器の改修についての検討も必要です。この改修はいかにも吸気管内の圧力損失が大きくなりそうですので、もしかしたら誉21型では6400m⇒6100m以上の、誉12型では6850m⇒6550m以上の公称高度の低下が最終的には起きていた可能性があります。実際、誉12型(または同等の発動機)搭載機と考えられる速度データを見ると、全開高度は6200~6500m程度となっているのです。それに、公称高度の変化と比べると離昇馬力の変化が小さいことも疑問です。

 要するに分からないことがもっと増えたということで、誉エンジンの謎はますます深まるばかりです。もし誉21型、12型の一次資料をご存じのかたがいらっしゃいましたらぜひコメント欄等で教えていただけますと幸いです。もちろんご感想や誤りのご指摘もお待ちしております。
 というわけで、今回もお読みいただきありがとうございました。次回の更新がいつになるか分かりませんが、資料は色々と取り寄せているところですので近い将来皆様に紹介できると良いなと思っています。あまり期待しないで待っていただけると幸いです。笑

はじめに
 誉21型(NK9H、ハ45-21)の性能はどうにも時期によって違いがあるらしいことは、これまでの記事やコメントで言及をしてきましたが、今回の記事では、具体的にどのような変化があって、その変化の理由はなんなのかを少し考えてみようと思います。

3系統の性能
 今のところ私は、2速公称性能のデータから、誉21型の性能は大きく分けて3種類の系統に分けられるのではないかと考えています。ひとつは1942~43年の間に見られる高度6000mで1700馬力というもので、彩雲や紫電などの初期の誉21型発動機の性能はこの数値を基に計算されたのではないかと思います。ふたつ目は、馬力性能は1700馬力のままで変化はありませんが公称高度が6400mとなったもので、主に1944年の資料に広く用いられている印象です。最後が1944年末から使用される、高度6100mで1625馬力という数字です。
 参考として以下の表を作成しました。資料によってプラスマイナス50程度の差はあるものの、時期によって3系統に区別できそうなことが視覚的に分かってもらえると思います。
誉21型2速性能の変遷

その理由について
 では、なぜこのような違いが生じたのでしょうか。それが設計変更によるものなのか、それとも計算方法の変更によるものなのか、正直に言ってよく分かりません。特に公称高度が6000mから6400mへ上昇していることに関しては、現在のところ、なんら仮説の立てようもありません。ですが、6400mから6100mへの低下については、もしかしたら答えられるかもしれません。

 というのも、本ブログで何度も登場頂いている陸軍の木村技術少佐の残したノートによると、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述が残されているのです。つまり、気化器を中央噴射に改修したものは6400m-300m=6100mとなり、 辻褄は合いそうです。
 では、その中央噴射とは何を指しているのでしょうか?もしかしたら以下の画像のことかもしれません。
No.148
 これは、アジア歴史資料センターでダウンロード可能な、海軍航空本部部報(部内限)の1944年1月8日のものです。この航本機密第148号によると、誉20型の気化器を改造するように指示をしています。具体的には、従来は燃料を「ノド」管の円周から噴出させていたのを、中央部に噴出管を設けてここから噴出させるよう改造、となっています。これこそがまさしく、木村少佐の言う気化器の改修であり中央噴射ではないでしょうか。中央部に噴出管を設けた結果、吸気管内の抵抗が増えて公称高度が下がった、と考えるならばさらに辻褄は合います。
 しかしながら、気になるのは時期の問題と馬力性能の問題です。この改修指示が44年1月に出ているならば、44~45年中の書類に1700馬力@6400mの記載が残り続けていることと矛盾してしまいます。さらに、75馬力の性能低下との関連性はあるのでしょうか。
 この問題に対して答えるとするならば、改修後の性能が反映されるのに時間のズレがあったということ、そして馬力の低下は圧縮比の低下(8.0→7.0?)による影響かもしれないことが挙げられるでしょうか。

誉10型への影響
 ちなみに、同様の改修指示は1月27日付の航本機密第957号にて誉10型にも出されています。つまり、誉10型でも同様な公称高度の低下があったはずなのです。
 過去記事において、誉12型の2速公称性能は1495馬力@6550mであると紹介してきましたが、実はこの数字/あるいは類似の数字のなかで、私の見つけることの出来たもっとも早い時期のものは、44年5月1日付の『実験機性能表』にみえる1500馬力@6600mです。
 一方で、もっと公称高度の高いデータも残されています。奥宮・堀越『零戦』で1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』では、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能を1570馬力@6850mとしています。また愛知航空機関係のある資料では、44年2月の日付で誉21型の運転制限バージョンであるNK9H-Bの性能を1520馬力@6800mとしています。
 つまり、誉21型と同様に誉12型についても約300mの公称高度の低下および若干の馬力低下があったと考えてよさそうです(ただし、誉22型の運転制限下の性能はあくまで参考に留めるべきかもしれないが)。

まとめ
 それでは今回のまとめに入ります。私は、誉21型の性能は時期によって大きく3つの系統に分けられると考えています。ひとつ目から二つ目への変化の理由については今のところ不明ですが、二つ目から三つ目への変化は、気化器の改修が影響している可能性があります。また、この改修による公称高度の低下は誉12型においても起きている可能性があります。
 馬力性能の低下については、公称高度が下がったことによる吸気温度の上昇以上の影響が誉21型だとありそうですが、これは圧縮比を下げたことが原因かもしれません。
 ということで、以前の記事で「誉21型の性能の変化は馬力計算方法の変化かもしれない」と書きましたが、それはいったん保留でお願いします。


ところで全然話は変わりますが①
 誉発動機に関して、低圧燃焼噴射装置㋜=スリンガー噴射のように書いている書籍がありますが、たぶん違います。スリンガー噴射方式とは、扇車に燃料(水メタノール含む。2025/1/9編集)の噴射口を設けたもののことを指すはずで、この構造は誉12型および21型から採用されています。


ところで全然話は変わりますが②
 誉を搭載した烈風試作機がさっぱり速度が出なかったとの話について。誉の性能低下により2速公称で1300馬力程度しか出ず、最高速度は300ノットに留まったのですが、同時期の紫電改・彩雲も同程度の速度まで性能低下していました。(奥宮・堀越『零戦』より)
 これに関しては吸入系統の鋳物が不良で設計通りでなかったことが原因とされており、この問題は解決に至ったとされます。
 ということは、紫電改のテスト飛行がもしこの不良品の誉の時期に行われていたならば「紫電よりも速度は低いとはけしからん」と開発中止になっていたかもしれず、試製烈風の完成がもう少し早ければ計算通り330ノット弱を発揮し、「零戦の再来」として量産が進められていたかもしれません。とすればハ43搭載の烈風は生まれなかったかもしれず、、、と妄想は止まりません。


ということで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんのご意見、ご感想や情報提供も是非是非お待ちしております。
よろしければ、是非コメントを残していってくださいませ!!

栄21型の圧縮比は「7.2」?
 誉エンジンの圧縮比について色々と考えを巡らせているなかで、同じボア×ストロークを持つ栄エンジンについても色々と調べていました。すると、不思議なことに栄21型の圧縮比の情報が意外とあやふやなことに気づきました。ネットで検索してみると、大概のサイトが栄21型の圧縮比を「7.2」としていますが、それって本当なのでしょうか?

 実のところ、私の知る限り戦時中の一次資料は全て栄21型の圧縮比を「7.0」としています。公式の要目表でも、零戦の取扱説明書でも、操縦参考書でも何を見ても「7.0」なのです。ついでに言えば陸軍版のハ115においても、取説をはじめどの資料を見ても同じく「7.0」となっています。

 それでは、この「7.2」という数字の出どころは一体どこなのでしょうか。色々な資料を見てみると、『中島飛行機エンジン史』にたどり着きました。同書の巻末の一覧表を確認すると、なんと栄21型の圧縮比が「7.2」となっているのです。しかしながら、この表は結構乱暴な表で、栄10型の圧縮比が「6.7」であるべきところも同様に「7.2」と記載しているのです。ちなみに、もしかしたらこの表の元になったかもしれない、中島飛行機が終戦後に占領軍に提出したデータが国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できます。しかしながら、戦時中の一次資料と比較して考えると、残念ながら、少し信用度の落ちるデータだと感じています。

 結局のところ、栄21型の圧縮比は「7.0」と考えるのが妥当だろうと思います。でも、今回の記事はこれで終わりではありません。まだ続きがあります。誉の圧縮比です。

誉10型、20型の圧縮比は???
 誉10型の圧縮比は、当時の海軍の一次資料でも中島の資料でも「7.0」となっています。栄エンジンと同じボア・ストロークを採用しているわけですから、まず10型では圧縮比も実績のある「7.0」を踏襲したというのはあり得る話です。一方で、戦中の一次資料では誉21型の圧縮比は「8.0」となっています。ただ量産型のエンジンは高圧縮に耐えられず、圧縮比を落としたという話も伝わっています。事実、中島の資料では21型も「7.0」との記載となっています。果たして何が本当なのでしょうか。

 その謎を解くために、まずは取扱説明書にあたってみようと思います。日本航空協会のHPでPDFで公開されており、復刻版も書籍で出版されていますから、一次資料の中では比較的目にしたことのある方も多いと思います。取扱説明書内では10型も21型も圧縮比の値を明言してはいないのですが、誉21型のピストンについて、以下の画像のような説明がなされています。
誉21取説第三節
 つまり、上死点および下死点が3mm上へ持ち上がり、その分燃焼室の容積*が小さくなったことを意味します。
※厳密に言うとピストンが上死点に達した時の内燃室の最小容積。念のため。

 それでは、誉10型の圧縮比が「7.0」というのが正しいものと仮定して、ピストン頂部までの高さを3mm底上げした場合の圧縮比はどの程度になるのか、一度計算してみましょう。

圧縮比(CR)は、燃焼室容積(A)とシリンダー容積(B)の和を燃焼室容積で割ったものです。
すなわち、
CR=(A+B)/A・・・①
で表すことができます。
まずは、圧縮比「7.0」時の燃焼室容積A(立方ミリメートル)を求めてみます。
当然ながら、
CR=7・・・②
誉はボアが130mm、ストロークは150mmですから、
B=65^2×π×150・・・③
①の式を変形して計算しやすくすると、
A=B/(CR-1)・・・④
④に②、③を代入して、
A=65^2×π×150/(7-1)
を電卓に計算してもらうと、
A=331830.724・・・⑤
が得られました。
一方で誉21型では3mmの底上げがあったということは、
65^2×π×3=39819.687・・・⑥
底上げ分の体積である⑥を⑤から引いてあげると、3mm底上げ後の燃焼室容積(A')が出ます。
A'=292011.037
この結果を受けて、改めて圧縮比(CR')の計算を行うと、
CR'=(A'+B)/A'
CR'=7.818
ということで、3mmの底上げをおこなっても圧縮比は「7.8」にしかなりませんでした。
となると、実は誉21型の圧縮比は実は「7.8」だったのでしょうか?

 ここで私はふとある記述を思い出しました。米軍が鹵獲した誉21型の圧縮比は、実測値で「7.17」であったと。鹵獲された誉は量産型ですから、なるほど圧縮比も「8.0」から抑えられていそうです。そして、誉の圧縮比を手っ取り早く下げる方法は、ガリガリ内側を削るのではなくて、誉21型で3mm底上げされたピストンを10型仕様のものに戻すことではないでしょうか。
 となると、燃焼室の形状が誉10型と21型では異なっており、「誉10型の燃焼室形状」+「誉10型のピストン」で圧縮比7.0を、「誉21型の燃焼室形状」+「底上げ3mmのピストン」で圧縮比「8.0」を実現しているのではないかと考えました。そして「誉21型の燃焼室形状」+「誉10型のピストン」で圧縮比を下げ「7.17」としたのが誉21型量産品ではないでしょうか。

 この仮説に基づいて、再度計算をしてみます。
圧縮比が「7.17」で、ボア×シリンダーが130×150mmとすれば、燃焼室容積をX、シリンダー容積をYと置くと、
X=(65^2×π×150)/(7.17-1)
X=322687.900・・・⑦
そして⑦から⑥を引いて、「誉21型の燃焼室形状」かつ「底上げ3mmのピストン」時の燃焼室容積X'を求めると、
X'=282868.213
となりました。
これをもとに再度圧縮比(cr)の計算を行うと、
cr=(X'+Y)/X'
cr=8.038
となり、見事圧縮比「8.0」を得ることが出来ました。

 ところで、「7.17」ってどこかで見たような気がしませんか?そうです。栄21型の圧縮比とされていた「7.2」に非常に近い数字なのです。もしかしたら、誉21型の圧縮比制限後の数値が戦後、機密書類焼却後の中島社内に残っており、占領軍に提出する資料を作成する中で栄21型の圧縮比と混同されたのか、はたまた生産の合理化のために後期型の栄エンジンは誉と共通の圧縮比「7.2」とされていたのでしょうか。

一旦まとめると、私の仮説では以下の表のようになるかと思います。
誉圧縮比表仮説

 さて、本仮説を立証するためには、なるべく製造時期の判明している栄・誉エンジンをかき集めて実際に燃焼室容積を計測してみる必要があります。
 具体的には、⑤から⑦を引いた9142.823立方mmの差を持つ二種類の燃焼室形状に区分できると仮説は立証されたことになるのですが、、、と、ここまで書いて私の今回の考察は終わらざるを得ません。
 なぜなら、そんなことを実際にやれるはずがないからです。ですから、これは一生仮説のままで終わりそうです。

まとめ
 長くなってしまいましたが、今回のまとめです。栄21型の圧縮比は戦中の一次資料を見る限り、「7.0」と考えるのが妥当なようです。戦後の出版物やインターネットサイトは大概「7.2」としていますが、中島の資料が基になっていると思われます。それかいつの間に誰かが実測したんでしょうか?それを私が知らないだけなのかも。

 一方で誉エンジンの圧縮比は一次資料を確認すると10型が「7.0」、21型は「8.0」となっていますが、誉21型の量産型については米軍による実測値も考慮すると「7.2」程度だったのではないかと思われます。そのうえで、燃焼室の形状やピストンには10型用のものと21型用のものが存在していたのではないかと考えていますが、実際に計測をしたわけではないため、仮説の域を出ません。なにかご存じの情報がありましたら、どなたか是非とも教えてください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければご意見ご感想お待ちしております。

はじめに
 前回の記事の終わりに予告した通り、今回は日本版戦時緊急出力("War Emergency Power"、"W.E.P.")である「戦闘馬力」について書いてみようと思います。
 そもそも、どうやら戦争後期になって日本も戦闘馬力を導入したらしいことは既に古峰文三氏が指摘していました。例えば「丸」編集部編『最強戦闘機 紫電改』(2010)の124頁にて、『昭和19年に入ると敵新鋭戦闘機との性能差を埋めるために運転時間の制限を緩和して離昇馬力に相当する運転を10分程度の目安で許容する規定が検討され始め』、『昭和19年12月から公認された』と書かれています。
 それでは、具体的にはどのような機種、エンジンでこの戦闘馬力が許容されたのでしょうか?それを知る手掛かりがアジア歴史資料センターにありました。

「戦闘馬力」の詳細
 早速以下の画像を見てください。昭和19年10月26日付の海軍公報(軍極秘)です。ざっと目を通してみてください。
S20No.13164
ポイントとしては、
・現用機を改造によらず性能向上させることが目的
・使用者の意図に応じて10分以内の連続使用が許容される
・適用機種、発動機が定められている
といったところが挙げられるでしょうか。基本的には離昇馬力と同様の運転条件のようですが、アツタ20型のみどういうわけか異なっています。雷電の公称馬力での最高速度を5500mで590km/h程度と仮定すれば、戦闘馬力での速度は4000~5000mで600km/h+αくらいにはなりそうです。
 一方で、紫電や彩雲、一式陸攻などは「実験中につき当分の間現状通り使用のこと」とあります。これはつまり裏を返せば各種機体で戦闘馬力の試験を行った/行っていることを意味し、当然最高速度速度の向上の程度も試験されていると思われます。実際どのくらいの向上が見られたのか非常に気になるところです。
 もうひとつ気になる点があるとすれば、誉10型でも戦闘馬力が許容されていることでしょうか。今までのイメージでは誉発動機は非常にデリケートなものという印象でしたが、少なくとも毎分2900回転、+400mmHgまでは比較的安定して回すことができたひとつの傍証になると思います。

 ところで、防衛研究所内には「栄発動機三一型」の仮取扱説明書が所蔵されています。昭和19年5月付のものなのですが、運転諸元には離昇運転、公称運転に加えて「仮称戦闘馬力公称運転」の欄があり、10分間の使用が許容されています。となると、過去記事「〈考察⑩〉栄31型の馬力性能について」にて表中で栄31型の真の公称出力としたものは「戦闘馬力」使用時の性能で、表中で「栄31甲型」と性能としたものが「公称馬力」の性能と考えてよさそうです。また、栄31型がこのようであるならば陸軍版のハ115IIでの運転条件も気になるところです。一式戦2型と比べて3型で性能向上がほとんど見られないのは、あくまで公称馬力時の運転条件には変更がなかったからなのかもしれません。

まとめ
 それでは今回のまとめです。日本でも1944年から離昇馬力と同等の運転条件で10分間の連続運転を許容する「戦闘馬力」の検討が始まり、実験を経て44年末には正式に導入されたと考えられます。しかしながら、この戦闘馬力で計測されたと思われる速度性能値等は今のところ確認できていません。また、44年10月時点では零戦や雷電での戦闘馬力の使用は認められていますが、紫電などでは認められていませんでした。その後適用範囲が広がったのかどうかについては分かりません。同様に、陸軍の状況についても分かっていません。引き続き調査を続けていきたいと思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!!皆様のご意見ご感想もお待ちしております!!

みなさんこんにちは。今回の記事は短いですが、前に書いた記事の補足となります。

 8月に書いた記事で雷電33型と火星26型について書きましたが、その中で火星26型と26甲型の違いについて「今ここで何が正解かを答えることはできそうにありません」としましたが、案外簡単に判明しましたので報告します。
 アジ歴で海軍公報(「秘」のほう)を見ていたところ、1945年1月6日付のこんなものを見つけました。以下の画像を見てください。
航本機密第60号
 はっきり答えが書いてあると思います。無印の火星26型は「火星23甲型の減速比を0.625に変更し高度性能を向上せるもの」とあります。一方で火星26甲型では「火星26型の減速装置を差し当たり火星23甲型と同一とせるもの」と書いてありますから、つまり減速比は0.5ということになります。すなわち、両者の違いは減速比にあったということで間違いなさそうです。一方で雷電33型装備発動機はこの表を見る限り火星26甲型となりますね。雷電33型への疑問が一歩ずつ氷解していっています。

 ところで気になるのが表中の「誉発動機21甲型」です。シリンダーのフィンを砂型で成型し、誉12型相当に制限使用するもののことを指すようです。誉21型も1945年4月19日付の内令兵で4月1日にさかのぼって制式採用されていますが、そこでも誉12型の性能に制限使用となっています。結局のところフィンの成型方法がどうであれ運転制限は終戦まで解除されなかったのでしょうか。調査を続行します。

 ちなみにそんな中、アメリカ軍のWar Emergency Powerに相当する「戦闘馬力」が日本でも戦争末期に認められていた可能性があります。次回はそれについて書いてみようと思います。

 それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。皆様のご意見ご感想お待ちしております<(_ _)>

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