WW2航空機の性能:WarbirdPerformanceBlog

第二次大戦中の日本軍航空機を中心に、その性能を探ります。

カテゴリ: 考察/Analysis

はじめに
 かつて『〈考察⑭-2〉誉発動機搭載機の全開高度を比較する:公称高度と全開高度の差について』という記事で、地上運転の結果から計算された公称高度と、実際に規定ブースト圧に達する飛行高度とに差があることについて書きました。「公称高度」と「全開高度」の語句の定義が今になってはあまり良くなかったと思いますが、当該記事の中でその原因を、
①計算方法が間違っている
②空気吸入管・空気取入口の設計が悪い
の2つに求め、どちらも正しそうだという結論を述べました。

 ただ、その後いろいろと調べていく中で、おそらく全開高度の差の原因の大部分は説①、すなわち計算方法が正しくなかったことによるものではないかと思うようになりました。今日の記事では、なぜそう思うに至ったかを説明してみたいと思います。

計算値と実測値の乖離:金星発動機の例
 早速ですが、以下の表は金星40型~60型を装備した飛行機の、計算上の公称高度(ラム圧なし)と実飛行時におけるスロットル全開に達する飛行高度(ラム圧効果あり)の差を示したものです。
全開高度比較(金星)

 見てわかる通り、公称高度が高くなるにつれて計算値と実測値の差が大きくなっていることが分かります。金星50型の2速時に至っては、実測値が計算値を超えている例は一つもありません。ラム圧ありの実測全開高度がラム圧なしの計算値を下回るというのは普通に考えたらあり得ないことです。
 あくまでこれは極端な例であるものの、ほかの発動機においてもこのような傾向は大きく変わりません。では、この公称高度はどのように計算されたものなのでしょうか。

全開高度の計算方法
 当時の計算方法は、地上試験で過給機の圧力比を求めそれをもとに温度の低い高空での圧力比を計算していたと思われます。高空状態を再現できる実験施設があればそんなことはせずに済むのですが、どうやら当時の日本には限られた性能の高空試験設備しかなかったようで、大馬力・高公称高度の発動機の性能は計算に拠るしかなかったと考えられます。

 ところで、過給機の性能は「圧力比」で表されます。これは、過給機に取り入れられた空気と過給機から出てきた空気の圧力の比を示したもので、例えば高度5000mでの圧力比が2.0の過給機があったとしたら、その時のブースト圧は405mmHg×2.0=810mmHgすなわち+50mmHgとなります。(※ここでは吸入管内での圧力損失を考慮しないものとする)

 そして、この圧力比は理論的には吸入温度によって変化します。温度が低ければ低いほど過給機の効率が良くなり、高ければ高いほど悪化します。なので、言ってしまえば暑い日よりも寒い日のほうが全開高度は高くなるといえます。

 具体的な温度による補正式はいくつか知られています。もっとも代表的なのが、Brooksによる、
Rz/R0=1+0.00063R0^2(t0-tz)・・・(1)

というものでしょう。これは1930年代前半に発表されたかなり古い時期の式ですが、国内外で広く用いられました。
 なお、Rzはある高度z(m)での圧力比を示し、R0は地上での圧力比を示しています。同じくtzは高度z(m)での吸入空気温度(℃)を示し、t0は地上での温度を示しています。

 戦中の日本国内でもっぱら用いられたのは、海軍の永野治によって発表された、以下の式です。
永野式
主要な陸海軍の航空発動機はほとんどこの式に拠っていたはずです。(画像は論文から。添字を他と揃えるためにいじっています。)

 ところが、これらの式はまだまだ発動機の馬力も全開高度も低い時期に発表されたものであって、完全なものとは言い難かったようです。

東大航空研究所の粟野誠一によってより合理的な式として発表されたのが以下の式です。なお、Tは絶対温度(K)を示しています。

(Rz-1)/(R0-1)=T0/Tz・・・(4)

また、ロールスロイス社内では以下のような圧力比補正式が用いられていました。

Rz/R0=1+0.002(t0-tz)・・・(5)

 一方で戦時中、計算値と実測値の全開高度の差を調べるために中島飛行機や三菱重工によって行われた飛行実験によって衝撃的な結果が得られます。それが、地上で計測した圧力比と全開高度での圧力比がほとんど同一だったというものです。すなわち、

R0=Ra・・・(6)

この実験こそが、前回記事で紹介した中島飛行機の高空性能試験法の改正案のもととなったと考えられます。

 ここまで紹介した5者の補正式をグラフで表したものが以下となります。
圧力比比較
これは地上の圧力比を2.0としたときの各高度における圧力比の増加具合を表したものです。Brooks式と永野式が6000mまで同じような線を描き、粟野式とロールスロイス式が7000m付近までほとんど重なりあっていることが見て取れます。また、中島式以外が低高度ではあまり差がないことも見て取れます。こうして見ると、Brooks式と永野式は4000mを超える高度では明らかに正確性を欠き、粟野式とロールスロイス式は妥当そうな印象を受けます。

ちなみにグラフ上のダイヤマークは規定ブースト圧を+200mmHgとしたときの全開高度です。
それぞれ、
・Brooks     6185m
・永野      6215m
・粟野      6035m
・ロールスロイス 6030m
・中島      5475m
となります。

衝撃の実験データ
 ところで、上で紹介した中島と三菱の実験結果とは具体的にどういったものだったのでしょうか。その原文は未だに見つけることができていませんが、浅野彌祐「航空ピストン発動機の全開高度」『機械の研究』8巻第2号(1956)に実験結果の表が掲載されています。(著者は元中島飛行機の技師で、戦後は千葉大学工学部の教授を務めた方です。)
全開高度実験結果
個人的にはかなり衝撃的な内容となっています。(ちなみに備考欄は私が追記したものです。)
例えば栄12型の全開高度は計算では4200mでしたが実測値は3400mに、誉11型は約5700mが約4600mになっています。
 興味深いのは火星20型の結果で、2つの実測値は共に1速が1600m前後、2速が4100m前後となっています。海軍による公式スペックでは火星21型や22型の公称高度が1速2100m、2速5500mとなっていながら火星23型では1300m、4100mとなっていることは皆さんご存じかと思いますが、その公称高度の大幅な低下はこの実験結果の影響を受けたものと考えてよいのではないでしょうか。

 また、誉21型の2900RPM、+250mmHg時の全開高度も示されています。かつて私は全開高度から搭載された誉発動機の型式を推定する記事を書いたことがありますが、この実験結果を鑑みるに、いったんその説は振り出しに戻らざるをえなさそうです。

なぜ圧力比が変化しないのか?
 上記の表中に示されている実測値は、空気取入口の末端、気化器直前の壁に孔をあけ、ここから通常の機体備え付けの高度計とは別の高度計に導いてその部分の絶対圧を読みとり、それを標準大気高度で表したものです。つまり、ラム圧効果なしでの全開高度とほとんど同じと考えてよいと思います。
 浅野は「航空ピストン発動機の全開高度」内では圧力比が変化しなかった理由にまでは言及していませんが、別の論文「燃料の気化による遠心過給機圧力比の変化について」において、燃料の気化具合が原因ではないかと述べています。すなわち、低空では燃料が十分に気化するために吸入空気温度が下げられるが、高度が上がるにつれて燃料の蒸発が悪くなるため、気温低下による圧力比の上昇を打ち消しているのではないかという考えです。
 この説は吸気管内に空気しか流れない定時燃料噴射式のエンジンの圧力比の変化を調べることによって確かめられそうですが、残念ながらそういった実飛行データは残されていないようです。上記の実験データにはポート噴射式である金星62型も含まれていますが、このエンジンは水メタノール噴射が行われており、もし噴射位置が過給機の前であったとするならばこの燃料の気化と同じ理屈が適用されると思われます。

実験した発動機以外の全開高度の推定
 続いて、実際に実験した発動機以外の全開高度をどのように推定したら良いかを考えてみます。この実験では、圧力比の高度(=温度)変化による影響が無かったことが実験的に確かめられたとしています。
 そこで、当時圧力比修正の計算に使われていたのは永野式ですから、計算値の全開高度から(3)式を使って地上圧力比を求め、その地上圧力比をそのまま使用して全開高度を求める方法が使えそうです。

例えば金星50型の2速全開高度はブースト圧+200mmHgで6200mです。
つまり圧力比Rzは
Rz=960/344=2.79

となります。このRz=2.79を(3)式に代入してあげると、R0=2.46が得られます。このときの全開高度は約5300mとなりますので、推算値6200mからは900mマイナスということになりそうです。

ちなみに、この永野式を使ってRzからR0を推定する方法で今回の実験に使われた発動機のR0を求め、実測値のRzとの比を計算してグラフに表したものが以下となります。
データがかなり散ってはいますが、おおむね横ばいで、高度が上がるにつれて若干右下がり傾向かなという感じです。サンプル数が少なくデータも散っているため、あまり信用はしないでくださいね。
相関関係

「より正確な」発動機性能グラフ
 最後に、実験結果をもとにして「より正確な」発動機の性能グラフを作成して終わりにしようと思います。ここでは誉12型の全開高度を1速約2200m、2速約5300mとし、GaggとFarrarの式を用いて各高度の2900RPM、+250mmHg時の馬力性能を求めました。濃い実線がその性能です(W.P.はWarbirdPerformanceの意)。ちなみに濃い点線はフルスロットル時の全開高度以下の性能で、薄い点線は従来の推定性能(=海軍の公式スペック)です。
誉12
GaggとFarrarの式は非常にシンプルながらよく実測値と合うことが認められているので今回の計算に使用しました。機会があればこのブログでも紹介したいと思います。
詳しく知りたい方は、
Gagg, Farrar "Altitude Performance of Aircraft Engines Equipped with Gear-Driven Superchargers" SAE Journal (1934)
Pierce "Altitude and the Aircraft Engine" SAE Journal (1940)
を読んでみてください。
日本語の方がよいという方は、
浅野彌祐『アメリカの航空発動機性能曲線作製法』内燃機関(1943)
をご覧ください。

まとめ
 というわけで今回は、戦時中の日本陸海軍の航空発動機の全開高度が計算値と実測時に大きな乖離があったことについて、その原因は過給機圧力比の補正計算式に不備があったことであるという考えをご紹介しました。
 ただし、なぜ飛行試験では圧力比の変化がほとんど見られなかったかについては、まだまだ議論の余地がありそうです。例えば、吸入管内での圧力損失の影響を考えてみる必要や、燃料の気化と温度の関係について調べてみる必要がありそうです。
 また、今回はこの実験結果のみから「より正確な」全開高度を求めてみましたが、空気取入口のラム圧効率の観点からも見てみる必要があると考えています。今回は金星50型の2速全開高度を約5300mと見積もりましたが、実は最高速度時の空気取入口の効率から計算してみると、もう少し低くなって5000m弱くらいまで下がるのではないかと推測しています。この空気取入口に関する考察はまだまだ皆さんにお見せできるほどのものではありませんが、記事になっていないところでも色々考えているということで(笑)

ということで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
疑問やご感想などありましたら遠慮なくコメントくださいますと励みになります。
引き続きよろしくお願いいたします。<(_ _)>

参考文献
浅野彌祐『アメリカの航空発動機性能曲線作製法』内燃機関(1943)
浅野彌祐『燃料の気化による遠心過給機圧力比の変化について』日本機械学会誌(1954)
浅野彌祐『航空ピストン発動機の全開高度』機械の研究(1956)
粟野誠一『遠心型過給機圧力比の温度修正式に就て』航空研究所彙報(1941)
粟野誠一『航空発動機の性能推定法』航空研究所報告(1944)
永野治『航空発動機の性能解析と高空性能推算法』日本航空学会誌(1939)
渡部一郎『航空ピストン発動機の高空性能』日本航空学会誌(1954)
Gagg, Farrar "Altitude Performance of Aircraft Engines Equipped with Gear-Driven Superchargers" SAE Journal (1934)
Hooker, Reed, Yarker "The Performance of a Supercharged Aero Engine" (1997)
Pierce "Altitude and the Aircraft Engine" SAE Journal (1940)

はじめに
 みなさまご無沙汰しております。今回は久しぶりの考察シリーズということで誉発動機の性能について考えてみます。タイトルにもある通り、今日の記事では考察⑱で行った誉21型の公称高度の変化とその理由について深掘りしていきたいと思っています。
 さっそくですが考察⑱では、
(1)誉21型の公称高度が時期によって大きく三つに分けられること
(2)そしてその二つめから三つめへの変化の理由に気化器の改修が関係しているのではないかということ
(3)また誉10型についても同様の公称高度の変化が起きているのではないかということ
の3点の可能性を指摘しましたが、あくまで指摘しただけで具体的な仮説を立てるというところまで論を進めることはできませんでした。しかしながら、今回の記事ではこの公称高度の変化+馬力性能の変化についてある程度の根拠をもとに仮説を提示してみたいと思います。

 ちなみに、ややこしくなりますのでこの記事では制式名称付与前であっても「誉21型」、「誉12型」等の名称を用い、略符号や試作名称は必要な場合を除き使いませんのでご了承ください。

誉21型の最初期の性能について
 前回記事で指摘したように、誉21型の性能は以下の3種類のものに大別できると考えています。

【初期】 離昇:2000PS 公称:1880PS@2000m前後 1700PS@6000m前後
【中期】 離昇:2000PS 公称:1900PS@1800m前後 1700PS@6400m前後
【後期】 離昇:1990PS 公称:1860PS@1750m前後 1625PS@6100m前後
※なお、上記の数字は資料によって馬力で10~20PS、公称高度で100~200mの差がありますので「前後」という表示を付けさせてもらっています。

 さてこのうち、あくまで私の知る限りですが、初期のものは昭和17年3月から、中期は昭和18年2月から、後期のものは昭和19年12月から確認することができます。これらのうち、まずは初期の性能がどういった性質のものかを考えてみます。

 初期の性能は、おそらく完成前の推定値と考えられます。その根拠のひとつは、昭和17年3月1日付で海軍航空本部によって作成された「試製発動機一覧表」という資料です。この資料の中では、誉21型は「十五試ル号改一〇一(NK9H)」として離昇2000PS、公称1880PS@1800m/1700PS@5800mの性能が与えられており、記事中に「製造中」と書かれているのです。

 ところで、誉21型の試作1号機の完成時期はいつなのでしょうか?調べてみたところはっきりとしたものは分かりませんでしたが、こちらの性能表によると昭和17年10月には地上運転試験が行われていますので、1号機の完成は昭和17年3月と10月の間のどこかということになりそうです。

 ちなみに誉21型試作1号機の完成以降も初期の性能は一時資料の中に見ることができます。例えば昭和18年1月作成の「試作機一覧表」では紫電や彩雲の欄で1700PS@6000mの表記があります。この資料内では性能の根拠を推算書や性能計算書に求めていますが、その最高速度発揮時の高度が6000mになっていることからも、性能計算書の作成時期から考えて1700PS@6000mは誉21型実機完成前の推定性能と考えてよいでしょう。

 そして、中期の1700PS@6400mこそが試作機による実測性能であったと考えられます。その根拠としては、先ほど示した性能グラフに加えて、昭和18年2月17日に中島飛行機が作成した「陸海軍試作発動機要目性能一覧表」を挙げたいと思います。この資料中では「ハ45(NK9H、NK9K)」の性能が「実測性能」として表記されているのです。

 以上のことから、初期の性能は試作機完成前の予想性能で、中期の性能は試作機完成後の性能であると考えられそうです。また、この時の性能は、圧縮比8.0、3000RPM、+350mmHgのフルスペックの性能だといえます。
※ただし、この実測性能は地上運転の結果求められた高空性能であって飛行試験の結果得られたものではないと思われます。

誉12型の性能
 続けて誉21型の後期の性能を考える前に、少し脱線して一度誉12型の性能について考えてみたいと思います。

誉12型の性能は、
 離昇:1825PS 公称:1670PS@2400m 1495PS@6550m
というものが一般的です。
 しかし、前回の記事では、奥宮・堀越『零戦』内の、1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』にて、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能1570馬力@6850mとしているデータや、NK9H-B(=誉12型)の性能を1520馬力@6800mとしている愛知航空機関係の資料をご紹介しました。これらの存在をどう考えればよいのでしょうか。

 ヒントは意外と手近なところにありました。何度も引用している誉21型の性能グラフから誉12型の運転条件で性能を拾ってみると、以下のようになりました。

離昇:1825PS@0m (2900RPM、+400mmHg)
公称:1700PS@2450m 1560PS@6850m (2900RPM、+250mmHg)

 いかがでしょうか。『零戦』内に出てきた誉22型運転制限下の性能と10馬力の差はありますが、ほとんど同一の2速公称高度を得ることができました。すなわち、この1560PS(1570PS)@6850mという数字は、誉21型の中期の性能と対応したものである、圧縮比8.0の時の性能であるといえそうです。

 となると、愛知航空機関係の1520馬力@6800mとしている資料は、圧縮比7.0の誉12型仕様の性能だと考えると辻褄があいそうです。この愛知航空機関係の資料というのは愛知航空機の尾崎紀男技師のノートのことで、昭和19年2月20日の『NK9BハB7用ハNK9BHトナル』との項で以下のような性能を読み取ることができます。

離昇:1760PS
公称:1790PS@2350m 1520PS@6800m
※ただし、公称1速の1790馬力は明らかに1690馬力の間違いか。また、別のページには離昇1780馬力、公称2速1530馬力と読み取れる部分あり。

これらの情報から、中期のフルスペック時および運転制限時の誉21型の性能、および誉12型の性能について考えを整理することができたかと思います。それでは、いよいよ公称高度の低下とそれに伴う性能の低下について考えていきます。

公称高度低下の理由を探る
 前回の記事(考察⑱)では、中期から後期にかけての2速公称高度の低下は気化器の改修にあると考えました。というのも木村昇陸軍技術少佐のノートに、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述があり、それが中期の6400m→後期の6100mへの変化と一致するのです。そして、その改修内容とは、航本機密第148号によって指示された、スロットル部円周から噴出させていた燃料を、中央部に設けた噴出管から噴出させる改造のことだと推理しました。
 ただ、公称高度の低下に関係しそうな改修はもうひとつありそうなのです。先ほど紹介した尾崎技師のノート『NK9BハB7用ハNK9BHトナル』の項を再現したものが以下の画像となります。
NK9BはB7用はNK9BHとなる(19-2-20)
 赤字のものが紹介した先ほど誉12型の性能ですが、注目してほしいのは緑色の線です。メタノール・スリンガー噴射によるものと推察されるこの線によって、公称高度が1速は150m、2速は400m低下していることが読み取れると思います。もしかしたら、木村少佐のいう「気化器改修」とは、メタノール噴射の翼車噴射を指している可能性があるのです。
 以下の画像は誉発動機の取扱説明書からの抜粋です。もし、翼車噴射改修前の噴射方式を「中央噴射」と呼称していたとすると、100mの差はありますが尾崎技師ノートと木村少佐ノートは同じものを指していることとなります。
誉12型取説
 また、1520PS@6800mが翼車噴射時の性能ではないのなら、逆算的に中期の誉21型の性能である1700PS@6400mと運転制限時の性能である1560PS@6850mも翼車噴射時の性能ではないことになります。実際、翼車噴射は誉21型試1号機からの仕様ではなかったようですので、辻褄はあいそうです。
 (ちなみにこの尾崎技師ノートでは誉11型の性能が従来知られているものよりも若干良くなっていますが、それについて考えるのはまたの機会ということで。)

 ちなみに誉12型の性能で注意しなければならないのは、尾崎技師ノートの1520PS@6800mの全開高度を6550mに下げても広く知られている誉12型の性能にはならないという点です。
 以下の画像は尾崎技師ノートから作成した2つの誉12型の性能グラフです。黒い実線が一般的に知られる誉12型の性能(性能A)で、赤い点線が翼車噴射未実装の誉12型の性能(性能B)を示しています。(性能Bの公称高度以上の馬力はデータがありませんでした。)
誉12型性能比較
 見てわかるように、地上公称馬力はほとんど同一なのにも関わらず高度馬力は性能Aが性能Bをわずかに下回っています。これは公称時の機械効率等が悪化していることを示しています。一方で離昇馬力は性能Aが性能Bを大きく上回っており、なんとも不思議です。これは私の勝手な推測ですが、公称地上馬力が同じなことから地上馬力自体は実測値だが、離昇、高度馬力の計算が性能Bでは単純な計算式が用いられ、性能Aではより詳細な検討が行われたのではと考えています。

後期の誉21型の性能
 さて、最後に誉21型の最終的な性能について考えてみます。以下は誉21型の中期後期の性能を比較したものです。一見して分かるように、後期中期と比べて公称高度が下がっていることに加え、全高度にわたって馬力も劣っていることが見て取れます。すなわち、両者の性能差は公称高度の低下ではなく何か別の要素が関係していると言えます。
誉21型性能比較
 この性能低下の要因として真っ先に挙げられるのが圧縮比の低下ではないでしょうか。手前味噌で恐縮ですが、考察⑰にて量産型の誉21型の圧縮比は7.2であった可能性を指摘させていただきました。圧縮比を8.0から7.2にした場合の具体的な馬力の変化がどれくらいになるかは分かりませんが、参考までに中期誉21型(圧縮比8.0)から誉12型(同7.0)への2900RPM、+250mmHg時の地上公称馬力性能の減少具合を比較してみると、
 1速:1550÷1570=98.7% ⇒ 1.3%の馬力減
 2速:1235÷1280=96.5% ⇒ 3.5%の馬力減

続いて中期誉21型(圧縮比8.0)から後期誉21型(圧縮比7.2?)への3000RPM、+350mmHg時の地上公称馬力の減り具合を比較してみると、
 1速:1760÷1790=98.3% ⇒ 1.7%の馬力減
 2速:1375÷1420=96.8% ⇒ 3.2%の馬力減
となり、かなり近い数値を示しています。これだけで圧縮比が原因とは言えませんが、ともかく後期の誉21型には馬力の低下に関わる何らかの仕様変更があったことは間違いないと思われます。

まとめ
 というわけでまとめに入りたいと思います。今回の記事ではまず、誉21型の性能を初期・中期・後期の3つの時期に分け、初期は実機完成前の推定性能であり、中期は実機完成後の実測性能であると考えました。続いて、誉21型の性能グラフと尾崎技師ノートのデータを参照しながら、2900RPMの運転条件での、圧縮比8.0のときと7.0の時の性能を比較し、さらに公称高度低下の原因がメタノール噴射方式の変更にあるのではないかと考えました。最後に、誉21型の後期の性能は公称高度の低下に加え、全高度域での馬力の低下が見られることを確認し、それが何らかの仕様変更に基づくものと考え圧縮比の低下がその最たる候補なのではないかと考えました。

 これらの仮説は誉21型の性能の変遷を矛盾なく説明することができそうですが、当然ながらまだまだ多くの謎が隠されています。例えば、昭和18年12月付で作成された「誉発動機取扱説明書」では、誉21型を翼車噴射式としながら2速公称高度を6100mではなく6400mとしています。いっぽうで誉12型の2速公称高度は6550mとなっています。
 また、考察⑱で公称高度低下の原因と考えた気化器の改修についての検討も必要です。この改修はいかにも吸気管内の圧力損失が大きくなりそうですので、もしかしたら誉21型では6400m⇒6100m以上の、誉12型では6850m⇒6550m以上の公称高度の低下が最終的には起きていた可能性があります。実際、誉12型(または同等の発動機)搭載機と考えられる速度データを見ると、全開高度は6200~6500m程度となっているのです。それに、公称高度の変化と比べると離昇馬力の変化が小さいことも疑問です。

 要するに分からないことがもっと増えたということで、誉エンジンの謎はますます深まるばかりです。もし誉21型、12型の一次資料をご存じのかたがいらっしゃいましたらぜひコメント欄等で教えていただけますと幸いです。もちろんご感想や誤りのご指摘もお待ちしております。
 というわけで、今回もお読みいただきありがとうございました。次回の更新がいつになるか分かりませんが、資料は色々と取り寄せているところですので近い将来皆様に紹介できると良いなと思っています。あまり期待しないで待っていただけると幸いです。笑

はじめに
 みなさん、こんにちは。今回の記事は、初心に立ち返って考察シリーズです。飛燕一型丁の最高速度について考察してみたいと思います。
 飛燕というと、試作機が予想以上の好成績を残したために量産化が決定されたものの、その後の相次ぐ改修によって性能が低下していったとされています。それでは、サブタイプのうち最も多く生産された丁型の最高速度は、実際のところどれほど低下してしまったのでしょうか?今回はこの疑問について考えてみようと思います。

飛燕一型丁の二種類の最高速度
 そもそも丁型の最高速度としては二種類のものが知られています;ひとつは①560km/h@5000mというもの。もうひとつは②580km/h@5000mというものです。

①の数字は、1945年9月付の川崎航空機が占領軍に提出した資料に見ることができます。
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 表中には「キ61」としか書かれていませんが、ハ40エンジンを搭載し、全備重量は3470kgで武装は13mm×2、20mm×2となっており、丁型の数値であると推測できます。
 一方で、②の数値は飛燕の設計者である土井武夫氏の著書『飛行機設計50年の回想』の表中に見られる数字です。一応どちらも信頼できそうな資料からのデータだと言えそうですが、どちらの方が正しいのでしょうか。
 正直に言ってしまえば、丁型の性能試験報告書が残っていない以上、どちらが正しいのかというはっきりとした結論を下すのは不可能です。なので、以下の考察は全て私の想像ということになります。そういう意味で言えば大して意義のない議論ということになりますが、それでも読んでいただけるというのであれば、どうかお付き合いください。

アプローチ1:試作機の性能から
 さて、冒頭に飛燕の試作機は予想以上の成績を残したと書きましたが、実際にはどのような性能だったのでしょうか。幸いにも、防衛研究所に所蔵されている『「キ六十一」操縦法』に、おそらく審査時のものと思われるデータが記されており、過去記事でも紹介しています。
 これによると、最高速度は高度6000mで591km/hですが、全開高度は4760mでその際の速度は588km/hとなっています。なお、この時の試験条件として飛揚重量は試作第1号機の標準状態である2950kgという注が付されています。また、川崎航空機側の資料でも最高速度は高度4760mで590km/hとしています。
 ということは、590km/h前後を計測した機体と、丁型との間には520kgもの重量差があったということになります。もし同一の機体でこれほどの重量差があった場合、最高速度にはどれほどの影響があるのでしょうか?

重量増加による速度への影響試算
 そこで、590km/hを計測した機体はそのままで、重量を2950kgから3470kgに仮想的に増やした場合の最高速を推算してみようと思います。
 まずは過去記事で紹介したようなデータを集めます。
 そのために、前述の『飛行機設計50年の回想』から数値をいくつか拝借します。例えば、キ61の飛行試験による(Cd*S)/ηは0.46、ηを0.85としてCd*Sは0.39としています。ただ、厳密にいうと0.46*0.85=0.391なので、Cd=0.391/20=0.01955を得ることが出来ました。
そのうえで、高度4800mで最高速度590km/hとして必要馬力を計算してみましたが、なぜか上手く釣り合いません。
Pr=(ρ/150)*Cd*S*v^3
 =(0.076701/150)*0.01955*20*163.89^3
 =880
P=880/0.85=1035
となり、全開高度4800mでの軸馬力が1035馬力になってしまいました。ハ40はラム圧なしで1100馬力@4200mのスペック性能なので、本来であれば全開高度が4800mであれば1100馬力+αでなければなりません。

もしやと思って、高度を4200mにして計算しなおしてみたら、
Pr=(ρ/150)*Cd*S*v^3
 =(0.08178/150)*0.01955*20*163.89^3
 =938
P=938/0.85=1104
となり、ぴったり1100馬力となりました。土井氏の計算に誤りがあったのか私の計算に使用したデータに根本的な誤りがあるのかは分かりませんが、こうなった以上、以降の計算は高度4200mの1100馬力で590km/hを出したことにして続けていきます。

『飛行機設計50年の回想』には風洞試験よりe=0.87としていたので、それをそのままパクります。これでCdpが求められるようになったので計算すると、
Pr=(Cdp*S/150)*ρ*v^3+(2/(75*π*e))*((W/b)^2)*(1/ρv)
Cdp=0.018563
を得ることができました。

続いて、W=3470にして計算してみます。
重量が増えた際の水平速度への影響は、迎角の増大による空気抵抗の増加と、揚力の増大による誘導抵抗の増加の二つに分けられます。
迎角の増大分は、飛燕の風洞試験データがないので何とも言えませんが、W=2950のときのCl=0.13429、W=3470のときのCl=0.15797なので、D4Y3の性能計算書などから
とりあえず適当にCdp=0.019000にしてみると、最高速度は581.5km/hとなりました。
もう少し悪めにCdp=0.019500にして計算すると、今度は576.4km/hとなりました。

すなわち、全く同一の外形を持つ飛燕の重量が2950kgから3470kgに増えた場合の速度低下は、10~15km/hくらいだと推測できます。(※ただし、高度4200mの軸馬力1100馬力で590km/hを発揮したとした場合)

外形変化による速度低下
 上で行った計算は、あくまで外形が同一の場合の話です。ところが、飛燕一型の試作機と一型丁とでは、様々な外形変化が考えられます。
 第一は、尾輪が引込式か固定式かという点です。一型乙の途中までは飛燕の尾輪は引込式でしたが、その後は固定式となっています。当然その分の空気抵抗の増加が見込まれます。
 第二は、機首に20mm機関砲を搭載したことによる、機首の延長および砲口の突出です。これによっても空気抵抗の増加が予測されます。
 また、確実ではない要素として、試作機は無塗装でしたが丁型では迷彩塗装が実施されている可能性があります。さらに、試作機には翼内武装が取り付けられていなかった可能性も存在しています。
 愛知航空機のとある資料によると、尾輪の固定による速度低下は3~4ノット、迷彩による速度低下は4ノットとしています。以上のことから、外形変化による空気抵抗の増加のために最高速度が15km/h 前後低下したとしても不思議ではありません。

 というわけで、重量増加と外形変化による合わせ技で約30km/hの速度低下があったと推測すると、①の560km/h@5000mの方が現実味のある数字かと思います。少なくとも②のような10km/hの速度低下では済まないように思われます。

アプローチ2:懸吊架装備機の性能から
 ちなみに、防衛研究所に所蔵されている木村技術中佐のノートには、過去記事のコメント欄でも触れましたが、懸吊架ありの飛燕で536km/h@4430mというデータも残されています。
以下原文を載せます。

 19年4月28日
 キ61-I 4000号附近(福生ニ於テ)
 G=3450kg
 Vmax=536k/4430m 530k/6000m
 t=8'20"/5000m
 尾輪固定
 落tank懸吊架有ス
 防弾トmauserノタメG増加セリ

 なお、「4000号附近」の「号」の部分は読み取りが難しく、もしかしたら別の文字かもしれません。"mauser"(マウザー)の表記が気になりますが、一型丁の機体番号がちょうど4001から始まること、重量が3450kgとなっていることから、単純に20mm機関砲の総称としてマウザーの語を使ったと考えて、この機体は一型丁を指すのではないかと考えています。
 加えて、もしこの機体が一型丙であったとしても、丁型と同等の重量かつ尾輪が固定式となっていることから、両者に性能差はほとんどないのではと思います。

 統一型落下タンク懸吊架による速度低下は、『「歴史群像」太平洋戦史シリーズ52 一式戦闘機「隼」』によると、第64戦隊の整備関係者の日誌において約25キロとの記述があるそうです。単純計算で536+25=561ですから、落下タンク懸吊架の無い飛燕一型丁の最高速度は、やはり560km/h程度と考えて良いのではないでしょうか。

まとめ
 ということで、今回の記事のまとめです。三式戦闘機一型丁の最高速度は二種類のものが知られていますが、一型試作機の性能を基に考えてみても、懸吊架付きの機体の性能を基に考えてみても、560km/h@5000m程度であったと考えるのが妥当かと思います。おそらく580km/hの数字は誤記・誤植の類なのではないでしょうか。(ただしこれらの結論は、あくまで私個人の推測に過ぎないということには注意が必要です。)

 今回も最後までお読みいただきありがとうございました。私は小さいころから算数が大嫌いで、なるべく避けて今まで生きてきた生粋の文系人間です。しかしながら、この記事内でも計算式が多く、やはりもっとしっかり勉強しておけばと思うことが多くなってきました。正直私の頭脳では、これくらいが限界です。それでも、分からないなりに今後もいろいろと考えていってみたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 皆様のご意見やご感想、疑問、反論、なんでもお待ちしております。ぜひコメント欄からご記入いただければ幸いです。ありがとうございました。

はじめに
 誉21型(NK9H、ハ45-21)の性能はどうにも時期によって違いがあるらしいことは、これまでの記事やコメントで言及をしてきましたが、今回の記事では、具体的にどのような変化があって、その変化の理由はなんなのかを少し考えてみようと思います。

3系統の性能
 今のところ私は、2速公称性能のデータから、誉21型の性能は大きく分けて3種類の系統に分けられるのではないかと考えています。ひとつは1942~43年の間に見られる高度6000mで1700馬力というもので、彩雲や紫電などの初期の誉21型発動機の性能はこの数値を基に計算されたのではないかと思います。ふたつ目は、馬力性能は1700馬力のままで変化はありませんが公称高度が6400mとなったもので、主に1944年の資料に広く用いられている印象です。最後が1944年末から使用される、高度6100mで1625馬力という数字です。
 参考として以下の表を作成しました。資料によってプラスマイナス50程度の差はあるものの、時期によって3系統に区別できそうなことが視覚的に分かってもらえると思います。
誉21型2速性能の変遷

その理由について
 では、なぜこのような違いが生じたのでしょうか。それが設計変更によるものなのか、それとも計算方法の変更によるものなのか、正直に言ってよく分かりません。特に公称高度が6000mから6400mへ上昇していることに関しては、現在のところ、なんら仮説の立てようもありません。ですが、6400mから6100mへの低下については、もしかしたら答えられるかもしれません。

 というのも、本ブログで何度も登場頂いている陸軍の木村技術少佐の残したノートによると、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述が残されているのです。つまり、気化器を中央噴射に改修したものは6400m-300m=6100mとなり、 辻褄は合いそうです。
 では、その中央噴射とは何を指しているのでしょうか?もしかしたら以下の画像のことかもしれません。
No.148
 これは、アジア歴史資料センターでダウンロード可能な、海軍航空本部部報(部内限)の1944年1月8日のものです。この航本機密第148号によると、誉20型の気化器を改造するように指示をしています。具体的には、従来は燃料を「ノド」管の円周から噴出させていたのを、中央部に噴出管を設けてここから噴出させるよう改造、となっています。これこそがまさしく、木村少佐の言う気化器の改修であり中央噴射ではないでしょうか。中央部に噴出管を設けた結果、吸気管内の抵抗が増えて公称高度が下がった、と考えるならばさらに辻褄は合います。
 しかしながら、気になるのは時期の問題と馬力性能の問題です。この改修指示が44年1月に出ているならば、44~45年中の書類に1700馬力@6400mの記載が残り続けていることと矛盾してしまいます。さらに、75馬力の性能低下との関連性はあるのでしょうか。
 この問題に対して答えるとするならば、改修後の性能が反映されるのに時間のズレがあったということ、そして馬力の低下は圧縮比の低下(8.0→7.0?)による影響かもしれないことが挙げられるでしょうか。

誉10型への影響
 ちなみに、同様の改修指示は1月27日付の航本機密第957号にて誉10型にも出されています。つまり、誉10型でも同様な公称高度の低下があったはずなのです。
 過去記事において、誉12型の2速公称性能は1495馬力@6550mであると紹介してきましたが、実はこの数字/あるいは類似の数字のなかで、私の見つけることの出来たもっとも早い時期のものは、44年5月1日付の『実験機性能表』にみえる1500馬力@6600mです。
 一方で、もっと公称高度の高いデータも残されています。奥宮・堀越『零戦』で1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』では、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能を1570馬力@6850mとしています。また愛知航空機関係のある資料では、44年2月の日付で誉21型の運転制限バージョンであるNK9H-Bの性能を1520馬力@6800mとしています。
 つまり、誉21型と同様に誉12型についても約300mの公称高度の低下および若干の馬力低下があったと考えてよさそうです(ただし、誉22型の運転制限下の性能はあくまで参考に留めるべきかもしれないが)。

まとめ
 それでは今回のまとめに入ります。私は、誉21型の性能は時期によって大きく3つの系統に分けられると考えています。ひとつ目から二つ目への変化の理由については今のところ不明ですが、二つ目から三つ目への変化は、気化器の改修が影響している可能性があります。また、この改修による公称高度の低下は誉12型においても起きている可能性があります。
 馬力性能の低下については、公称高度が下がったことによる吸気温度の上昇以上の影響が誉21型だとありそうですが、これは圧縮比を下げたことが原因かもしれません。
 ということで、以前の記事で「誉21型の性能の変化は馬力計算方法の変化かもしれない」と書きましたが、それはいったん保留でお願いします。


ところで全然話は変わりますが①
 誉発動機に関して、低圧燃焼噴射装置㋜=スリンガー噴射のように書いている書籍がありますが、たぶん違います。スリンガー噴射方式とは、扇車に燃料(水メタノール含む。2025/1/9編集)の噴射口を設けたもののことを指すはずで、この構造は誉12型および21型から採用されています。


ところで全然話は変わりますが②
 誉を搭載した烈風試作機がさっぱり速度が出なかったとの話について。誉の性能低下により2速公称で1300馬力程度しか出ず、最高速度は300ノットに留まったのですが、同時期の紫電改・彩雲も同程度の速度まで性能低下していました。(奥宮・堀越『零戦』より)
 これに関しては吸入系統の鋳物が不良で設計通りでなかったことが原因とされており、この問題は解決に至ったとされます。
 ということは、紫電改のテスト飛行がもしこの不良品の誉の時期に行われていたならば「紫電よりも速度は低いとはけしからん」と開発中止になっていたかもしれず、試製烈風の完成がもう少し早ければ計算通り330ノット弱を発揮し、「零戦の再来」として量産が進められていたかもしれません。とすればハ43搭載の烈風は生まれなかったかもしれず、、、と妄想は止まりません。


ということで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんのご意見、ご感想や情報提供も是非是非お待ちしております。
よろしければ、是非コメントを残していってくださいませ!!

栄21型の圧縮比は「7.2」?
 誉エンジンの圧縮比について色々と考えを巡らせているなかで、同じボア×ストロークを持つ栄エンジンについても色々と調べていました。すると、不思議なことに栄21型の圧縮比の情報が意外とあやふやなことに気づきました。ネットで検索してみると、大概のサイトが栄21型の圧縮比を「7.2」としていますが、それって本当なのでしょうか?

 実のところ、私の知る限り戦時中の一次資料は全て栄21型の圧縮比を「7.0」としています。公式の要目表でも、零戦の取扱説明書でも、操縦参考書でも何を見ても「7.0」なのです。ついでに言えば陸軍版のハ115においても、取説をはじめどの資料を見ても同じく「7.0」となっています。

 それでは、この「7.2」という数字の出どころは一体どこなのでしょうか。色々な資料を見てみると、『中島飛行機エンジン史』にたどり着きました。同書の巻末の一覧表を確認すると、なんと栄21型の圧縮比が「7.2」となっているのです。しかしながら、この表は結構乱暴な表で、栄10型の圧縮比が「6.7」であるべきところも同様に「7.2」と記載しているのです。ちなみに、もしかしたらこの表の元になったかもしれない、中島飛行機が終戦後に占領軍に提出したデータが国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できます。しかしながら、戦時中の一次資料と比較して考えると、残念ながら、少し信用度の落ちるデータだと感じています。

 結局のところ、栄21型の圧縮比は「7.0」と考えるのが妥当だろうと思います。でも、今回の記事はこれで終わりではありません。まだ続きがあります。誉の圧縮比です。

誉10型、20型の圧縮比は???
 誉10型の圧縮比は、当時の海軍の一次資料でも中島の資料でも「7.0」となっています。栄エンジンと同じボア・ストロークを採用しているわけですから、まず10型では圧縮比も実績のある「7.0」を踏襲したというのはあり得る話です。一方で、戦中の一次資料では誉21型の圧縮比は「8.0」となっています。ただ量産型のエンジンは高圧縮に耐えられず、圧縮比を落としたという話も伝わっています。事実、中島の資料では21型も「7.0」との記載となっています。果たして何が本当なのでしょうか。

 その謎を解くために、まずは取扱説明書にあたってみようと思います。日本航空協会のHPでPDFで公開されており、復刻版も書籍で出版されていますから、一次資料の中では比較的目にしたことのある方も多いと思います。取扱説明書内では10型も21型も圧縮比の値を明言してはいないのですが、誉21型のピストンについて、以下の画像のような説明がなされています。
誉21取説第三節
 つまり、上死点および下死点が3mm上へ持ち上がり、その分燃焼室の容積*が小さくなったことを意味します。
※厳密に言うとピストンが上死点に達した時の内燃室の最小容積。念のため。

 それでは、誉10型の圧縮比が「7.0」というのが正しいものと仮定して、ピストン頂部までの高さを3mm底上げした場合の圧縮比はどの程度になるのか、一度計算してみましょう。

圧縮比(CR)は、燃焼室容積(A)とシリンダー容積(B)の和を燃焼室容積で割ったものです。
すなわち、
CR=(A+B)/A・・・①
で表すことができます。
まずは、圧縮比「7.0」時の燃焼室容積A(立方ミリメートル)を求めてみます。
当然ながら、
CR=7・・・②
誉はボアが130mm、ストロークは150mmですから、
B=65^2×π×150・・・③
①の式を変形して計算しやすくすると、
A=B/(CR-1)・・・④
④に②、③を代入して、
A=65^2×π×150/(7-1)
を電卓に計算してもらうと、
A=331830.724・・・⑤
が得られました。
一方で誉21型では3mmの底上げがあったということは、
65^2×π×3=39819.687・・・⑥
底上げ分の体積である⑥を⑤から引いてあげると、3mm底上げ後の燃焼室容積(A')が出ます。
A'=292011.037
この結果を受けて、改めて圧縮比(CR')の計算を行うと、
CR'=(A'+B)/A'
CR'=7.818
ということで、3mmの底上げをおこなっても圧縮比は「7.8」にしかなりませんでした。
となると、実は誉21型の圧縮比は実は「7.8」だったのでしょうか?

 ここで私はふとある記述を思い出しました。米軍が鹵獲した誉21型の圧縮比は、実測値で「7.17」であったと。鹵獲された誉は量産型ですから、なるほど圧縮比も「8.0」から抑えられていそうです。そして、誉の圧縮比を手っ取り早く下げる方法は、ガリガリ内側を削るのではなくて、誉21型で3mm底上げされたピストンを10型仕様のものに戻すことではないでしょうか。
 となると、燃焼室の形状が誉10型と21型では異なっており、「誉10型の燃焼室形状」+「誉10型のピストン」で圧縮比7.0を、「誉21型の燃焼室形状」+「底上げ3mmのピストン」で圧縮比「8.0」を実現しているのではないかと考えました。そして「誉21型の燃焼室形状」+「誉10型のピストン」で圧縮比を下げ「7.17」としたのが誉21型量産品ではないでしょうか。

 この仮説に基づいて、再度計算をしてみます。
圧縮比が「7.17」で、ボア×シリンダーが130×150mmとすれば、燃焼室容積をX、シリンダー容積をYと置くと、
X=(65^2×π×150)/(7.17-1)
X=322687.900・・・⑦
そして⑦から⑥を引いて、「誉21型の燃焼室形状」かつ「底上げ3mmのピストン」時の燃焼室容積X'を求めると、
X'=282868.213
となりました。
これをもとに再度圧縮比(cr)の計算を行うと、
cr=(X'+Y)/X'
cr=8.038
となり、見事圧縮比「8.0」を得ることが出来ました。

 ところで、「7.17」ってどこかで見たような気がしませんか?そうです。栄21型の圧縮比とされていた「7.2」に非常に近い数字なのです。もしかしたら、誉21型の圧縮比制限後の数値が戦後、機密書類焼却後の中島社内に残っており、占領軍に提出する資料を作成する中で栄21型の圧縮比と混同されたのか、はたまた生産の合理化のために後期型の栄エンジンは誉と共通の圧縮比「7.2」とされていたのでしょうか。

一旦まとめると、私の仮説では以下の表のようになるかと思います。
誉圧縮比表仮説

 さて、本仮説を立証するためには、なるべく製造時期の判明している栄・誉エンジンをかき集めて実際に燃焼室容積を計測してみる必要があります。
 具体的には、⑤から⑦を引いた9142.823立方mmの差を持つ二種類の燃焼室形状に区分できると仮説は立証されたことになるのですが、、、と、ここまで書いて私の今回の考察は終わらざるを得ません。
 なぜなら、そんなことを実際にやれるはずがないからです。ですから、これは一生仮説のままで終わりそうです。

まとめ
 長くなってしまいましたが、今回のまとめです。栄21型の圧縮比は戦中の一次資料を見る限り、「7.0」と考えるのが妥当なようです。戦後の出版物やインターネットサイトは大概「7.2」としていますが、中島の資料が基になっていると思われます。それかいつの間に誰かが実測したんでしょうか?それを私が知らないだけなのかも。

 一方で誉エンジンの圧縮比は一次資料を確認すると10型が「7.0」、21型は「8.0」となっていますが、誉21型の量産型については米軍による実測値も考慮すると「7.2」程度だったのではないかと思われます。そのうえで、燃焼室の形状やピストンには10型用のものと21型用のものが存在していたのではないかと考えていますが、実際に計測をしたわけではないため、仮説の域を出ません。なにかご存じの情報がありましたら、どなたか是非とも教えてください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければご意見ご感想お待ちしております。

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