はじめに
 誉21型(NK9H、ハ45-21)の性能はどうにも時期によって違いがあるらしいことは、これまでの記事やコメントで言及をしてきましたが、今回の記事では、具体的にどのような変化があって、その変化の理由はなんなのかを少し考えてみようと思います。

3系統の性能
 今のところ私は、2速公称性能のデータから、誉21型の性能は大きく分けて3種類の系統に分けられるのではないかと考えています。ひとつは1942~43年の間に見られる高度6000mで1700馬力というもので、彩雲や紫電などの初期の誉21型発動機の性能はこの数値を基に計算されたのではないかと思います。ふたつ目は、馬力性能は1700馬力のままで変化はありませんが公称高度が6400mとなったもので、主に1944年の資料に広く用いられている印象です。最後が1944年末から使用される、高度6100mで1625馬力という数字です。
 参考として以下の表を作成しました。資料によってプラスマイナス50程度の差はあるものの、時期によって3系統に区別できそうなことが視覚的に分かってもらえると思います。
誉21型2速性能の変遷

その理由について
 では、なぜこのような違いが生じたのでしょうか。それが設計変更によるものなのか、それとも計算方法の変更によるものなのか、正直に言ってよく分かりません。特に公称高度が6000mから6400mへ上昇していることに関しては、現在のところ、なんら仮説の立てようもありません。ですが、6400mから6100mへの低下については、もしかしたら答えられるかもしれません。

 というのも、本ブログで何度も登場頂いている陸軍の木村技術少佐の残したノートによると、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述が残されているのです。つまり、気化器を中央噴射に改修したものは6400m-300m=6100mとなり、 辻褄は合いそうです。
 では、その中央噴射とは何を指しているのでしょうか?もしかしたら以下の画像のことかもしれません。
No.148
 これは、アジア歴史資料センターでダウンロード可能な、海軍航空本部部報(部内限)の1944年1月8日のものです。この航本機密第148号によると、誉20型の気化器を改造するように指示をしています。具体的には、従来は燃料を「ノド」管の円周から噴出させていたのを、中央部に噴出管を設けてここから噴出させるよう改造、となっています。これこそがまさしく、木村少佐の言う気化器の改修であり中央噴射ではないでしょうか。中央部に噴出管を設けた結果、吸気管内の抵抗が増えて公称高度が下がった、と考えるならばさらに辻褄は合います。
 しかしながら、気になるのは時期の問題と馬力性能の問題です。この改修指示が44年1月に出ているならば、44~45年中の書類に1700馬力@6400mの記載が残り続けていることと矛盾してしまいます。さらに、75馬力の性能低下との関連性はあるのでしょうか。
 この問題に対して答えるとするならば、改修後の性能が反映されるのに時間のズレがあったということ、そして馬力の低下は圧縮比の低下(8.0→7.0?)による影響かもしれないことが挙げられるでしょうか。

誉10型への影響
 ちなみに、同様の改修指示は1月27日付の航本機密第957号にて誉10型にも出されています。つまり、誉10型でも同様な公称高度の低下があったはずなのです。
 過去記事において、誉12型の2速公称性能は1495馬力@6550mであると紹介してきましたが、実はこの数字/あるいは類似の数字のなかで、私の見つけることの出来たもっとも早い時期のものは、44年5月1日付の『実験機性能表』にみえる1500馬力@6600mです。
 一方で、もっと公称高度の高いデータも残されています。奥宮・堀越『零戦』で1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』では、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能を1570馬力@6850mとしています。また愛知航空機関係のある資料では、44年2月の日付で誉21型の運転制限バージョンであるNK9H-Bの性能を1520馬力@6800mとしています。
 つまり、誉21型と同様に誉12型についても約300mの公称高度の低下および若干の馬力低下があったと考えてよさそうです(ただし、誉22型の運転制限下の性能はあくまで参考に留めるべきかもしれないが)。

まとめ
 それでは今回のまとめに入ります。私は、誉21型の性能は時期によって大きく3つの系統に分けられると考えています。ひとつ目から二つ目への変化の理由については今のところ不明ですが、二つ目から三つ目への変化は、気化器の改修が影響している可能性があります。また、この改修による公称高度の低下は誉12型においても起きている可能性があります。
 馬力性能の低下については、公称高度が下がったことによる吸気温度の上昇以上の影響が誉21型だとありそうですが、これは圧縮比を下げたことが原因かもしれません。
 ということで、以前の記事で「誉21型の性能の変化は馬力計算方法の変化かもしれない」と書きましたが、それはいったん保留でお願いします。


ところで全然話は変わりますが①
 誉発動機に関して、低圧燃焼噴射装置㋜=スリンガー噴射のように書いている書籍がありますが、たぶん違います。スリンガー噴射方式とは、扇車に燃料(水メタノール含む。2025/1/9編集)の噴射口を設けたもののことを指すはずで、この構造は誉12型および21型から採用されています。


ところで全然話は変わりますが②
 誉を搭載した烈風試作機がさっぱり速度が出なかったとの話について。誉の性能低下により2速公称で1300馬力程度しか出ず、最高速度は300ノットに留まったのですが、同時期の紫電改・彩雲も同程度の速度まで性能低下していました。(奥宮・堀越『零戦』より)
 これに関しては吸入系統の鋳物が不良で設計通りでなかったことが原因とされており、この問題は解決に至ったとされます。
 ということは、紫電改のテスト飛行がもしこの不良品の誉の時期に行われていたならば「紫電よりも速度は低いとはけしからん」と開発中止になっていたかもしれず、試製烈風の完成がもう少し早ければ計算通り330ノット弱を発揮し、「零戦の再来」として量産が進められていたかもしれません。とすればハ43搭載の烈風は生まれなかったかもしれず、、、と妄想は止まりません。


ということで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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