はじめに
みなさんこんにちは。一番最初の考察記事「紫電改の最高速度について」から1年半近くが経過しましたが、何故か最近よくアクセスを頂くので、今の私の紫電改の最高速度性能に関する考え方を再整理してみようと思います。
ちなみに本記事はまったく私の予想(妄想?)に基づきます。「もしかしたらそうかもな~」くらいの感覚でお読みください。
当該考察記事にてご紹介したように、紫電改の最高速度とされるものには様々な数値があります。例えば、高度5600mで594km/hというもの。高度6000mで620km/hというもの。同じく6000mで644km/hというもの。こういった数字を前回の記事ではただ並べただけでしたが、その後の誉エンジンの運転制限に関する記事の内容も加味して、これらの速度値がどのエンジンを搭載して発揮されたものなのか、今一度考えてみることにします。
データ分類
さて、紫電改の最高速度値については概ね3つのタイプに分けられると考えています。
①:321kt(594km/h)@5600m・・・公試結果
②:330~335kt(610~620km/h)程度@6000~6500m(?)・・・操縦参考書、横空資料等
③:345kt(640km/h)程度@6000m(?)・・・操縦参考書、菊原氏の戦後論文
そして、これらの三つの速度の差は異なる三つのエンジンによって生じたものと考えています。すなわち、
①:誉11型
②:誉12型(≒運転制限下の誉21型)
③:誉21型
です。
三種類のエンジンの性能はグラフに表すと以下のようになります。
このグラフについては海軍等の一次資料に基づいていますので、ある程度の信頼性は保証します。
そのうえで、紫電改の水平最大速度のグラフを私のフィーリングに基づいて作成してみたところ、以下のようなものが出来上がりました。
青は誉11型を示します。誉11型の2速公称高度は5700mですので、実測値5600mで594km/hというのはかなり高い確率で誉11型エンジン搭載時の性能と考えます。
一方緑は誉12型です。610km/h前後を発揮したとする高度が6000mとなっている資料がほとんどなのですが、誉12型の公称高度は概ね6500mとされています。但し戦時中のエンジンの公称高度は計算よりも実際が下回ることも多かったとされており、6000mだといささか低すぎるかもしれませんが、実際のところは6000~6500mの間だったということで幅をとっておこうと思います。誉11型搭載時からの速度向上は、馬力の向上及び公称高度の向上によって得られたものと考えています。
ちなみに、約595km/hから約610km/hへの誉エンジンの違いによる速度向上というのは、天雷の例が参考になるかもしれません。天雷の最高速度は高度5600mにて322kt(596km/h)とされており、紫電改の3つの速度のうち、①に非常に近いことが分かります。つまりこれは誉11型搭載時の性能の可能性が高いと考えます。一方で、『航空情報』の1951年12月号内の馬場一夫氏による「試験飛行回顧録」ではその最高速度を335kt(620km/h)@6500mとし、②とほぼ同様となっています。また、エンジン運転条件は誉10型と同様の+250mmHg、2900rpmとしているのです。それに加えて過去記事の簡単な推算を考慮すると、①から②への速度向上は誉11型から誉12型へエンジンを換装したことによるものと考えるのが妥当な気がします。
赤は誉21型を示します。ただしこれは数ある誉21型エンジンの性能データのうち、1944年末頃から見られる馬力性能が低い方のデータを使用しています。なお、操縦参考書内の348kt(644km/h)@6000mは良い方のデータを使っているのではと考えています。また、紫電改の設計者である菊原静男氏は『航空技術の近況と日本における再出発』というタイトルで航空学会誌に寄稿しており、その中に示された表にて紫電改の最高速度を高度6900mで640km/hとしています。この「6900m」という数字がどうにも曲者で、おそらく6000mや6400mの誤記のような気はしているのですが、その発動機馬力は1620馬力としています。644km/hはやや過剰としても、誉21型搭載時の紫電改は630~640km/hを出せるものと思っても良いのではないでしょうか。
さて、このように考えてみると、3種類の最大速度データと3種類のエンジンの馬力グラフ、3種類の水平最大速度グラフがなんともうま~くマッチングしているのです。
まとめ
ということでまとめです。今のところ私は、紫電改の最高速度データは以上のような3種類に分けることができると考えており、それはエンジンの違いによるものと考えています。速度のグラフはあくまでイメージであってなんら厳密な計算に基づくものではありませんが、馬力グラフおよび最高速度データと上手くはまります。
今後矛盾したデータが見つかれば一気にひっくり返る程度の推測で、皆さんに新たな資料をお示しできるような記事ではありませんでしたが、なにか皆さんの考え方のヒントになれば幸いです。
最後に、私としては自分自身に都合の良いデータだけ抜き出しているつもりはありませんが、なにか内容についてご指摘ご意見等ありましたら遠慮なくお願い致します。ご感想もお待ちしております。
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさんこんにちは。一番最初の考察記事「紫電改の最高速度について」から1年半近くが経過しましたが、何故か最近よくアクセスを頂くので、今の私の紫電改の最高速度性能に関する考え方を再整理してみようと思います。
ちなみに本記事はまったく私の予想(妄想?)に基づきます。「もしかしたらそうかもな~」くらいの感覚でお読みください。
当該考察記事にてご紹介したように、紫電改の最高速度とされるものには様々な数値があります。例えば、高度5600mで594km/hというもの。高度6000mで620km/hというもの。同じく6000mで644km/hというもの。こういった数字を前回の記事ではただ並べただけでしたが、その後の誉エンジンの運転制限に関する記事の内容も加味して、これらの速度値がどのエンジンを搭載して発揮されたものなのか、今一度考えてみることにします。
データ分類
さて、紫電改の最高速度値については概ね3つのタイプに分けられると考えています。
①:321kt(594km/h)@5600m・・・公試結果
②:330~335kt(610~620km/h)程度@6000~6500m(?)・・・操縦参考書、横空資料等
③:345kt(640km/h)程度@6000m(?)・・・操縦参考書、菊原氏の戦後論文
そして、これらの三つの速度の差は異なる三つのエンジンによって生じたものと考えています。すなわち、
①:誉11型
②:誉12型(≒運転制限下の誉21型)
③:誉21型
です。
三種類のエンジンの性能はグラフに表すと以下のようになります。
このグラフについては海軍等の一次資料に基づいていますので、ある程度の信頼性は保証します。
そのうえで、紫電改の水平最大速度のグラフを私のフィーリングに基づいて作成してみたところ、以下のようなものが出来上がりました。
青は誉11型を示します。誉11型の2速公称高度は5700mですので、実測値5600mで594km/hというのはかなり高い確率で誉11型エンジン搭載時の性能と考えます。
一方緑は誉12型です。610km/h前後を発揮したとする高度が6000mとなっている資料がほとんどなのですが、誉12型の公称高度は概ね6500mとされています。但し戦時中のエンジンの公称高度は計算よりも実際が下回ることも多かったとされており、6000mだといささか低すぎるかもしれませんが、実際のところは6000~6500mの間だったということで幅をとっておこうと思います。誉11型搭載時からの速度向上は、馬力の向上及び公称高度の向上によって得られたものと考えています。
ちなみに、約595km/hから約610km/hへの誉エンジンの違いによる速度向上というのは、天雷の例が参考になるかもしれません。天雷の最高速度は高度5600mにて322kt(596km/h)とされており、紫電改の3つの速度のうち、①に非常に近いことが分かります。つまりこれは誉11型搭載時の性能の可能性が高いと考えます。一方で、『航空情報』の1951年12月号内の馬場一夫氏による「試験飛行回顧録」ではその最高速度を335kt(620km/h)@6500mとし、②とほぼ同様となっています。また、エンジン運転条件は誉10型と同様の+250mmHg、2900rpmとしているのです。それに加えて過去記事の簡単な推算を考慮すると、①から②への速度向上は誉11型から誉12型へエンジンを換装したことによるものと考えるのが妥当な気がします。
赤は誉21型を示します。ただしこれは数ある誉21型エンジンの性能データのうち、1944年末頃から見られる馬力性能が低い方のデータを使用しています。なお、操縦参考書内の348kt(644km/h)@6000mは良い方のデータを使っているのではと考えています。また、紫電改の設計者である菊原静男氏は『航空技術の近況と日本における再出発』というタイトルで航空学会誌に寄稿しており、その中に示された表にて紫電改の最高速度を高度6900mで640km/hとしています。この「6900m」という数字がどうにも曲者で、おそらく6000mや6400mの誤記のような気はしているのですが、その発動機馬力は1620馬力としています。644km/hはやや過剰としても、誉21型搭載時の紫電改は630~640km/hを出せるものと思っても良いのではないでしょうか。
さて、このように考えてみると、3種類の最大速度データと3種類のエンジンの馬力グラフ、3種類の水平最大速度グラフがなんともうま~くマッチングしているのです。
まとめ
ということでまとめです。今のところ私は、紫電改の最高速度データは以上のような3種類に分けることができると考えており、それはエンジンの違いによるものと考えています。速度のグラフはあくまでイメージであってなんら厳密な計算に基づくものではありませんが、馬力グラフおよび最高速度データと上手くはまります。
今後矛盾したデータが見つかれば一気にひっくり返る程度の推測で、皆さんに新たな資料をお示しできるような記事ではありませんでしたが、なにか皆さんの考え方のヒントになれば幸いです。
最後に、私としては自分自身に都合の良いデータだけ抜き出しているつもりはありませんが、なにか内容についてご指摘ご意見等ありましたら遠慮なくお願い致します。ご感想もお待ちしております。
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (7)
It is a pity that most of the performance record lack the detailed info.
warbirdperforma
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が
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天雷の最高速度を含めた検証をされたことで、誉各型と最高速度の関係性が明確になったと思います。誉の形式よって、どの機種でも記事中①~③程度の違いがある、と認識できました。誉搭載機を考察する際、重要と思います。記事タイトルにいただいた紫電改のみならず、誉搭載機全体に関して、多くのことを考えるきっかけになりました。
<天雷>
天雷も「誉のせいで遅かった」と紹介されてきました。
ex. 酣燈社「日本軍用機の全貌」 P.213 : 昭和19年7月に飛行を開始したが、当時の誉発動機は性能低下著しく最高速度はようやく600km/hそこそこしか出ず
上記を鵜呑みにすると、誉の品質が低い…という悪評になりますが、blog主さまの分析に触れて、実は11型搭載機としては正常との視点を持ちました。(紫電改と同等の速度に達しており遅くない。)
私はこれが、非常に納得いきます。というのも、紫電も疾風も戦力化されているが、発動機に根本的な問題があるなら、そもそも運用できるの?と気になってました。車などメカ系は、動力に不具合あれば、発熱や振動が生じ壊れます。そのため「発動機の品質が低い」事の実態が長年、気になってきました。
‘20/12/18に記載を頂いた「戦闘馬力」の記事を何度も読ませていただいています。同記事は誉10系では戦闘馬力が許容されていることを明確にされました。つまり’44/10/26時点で誉10系は一定品質に達していたとみなせます。
また、これは可能性ですが21型の予定性能が変わってしまったのかもしれません。今回、改めて記載頂いておりますように、誉21型公称性能に「1944年末頃から見られる馬力性能が低い方」として1625hp / 6100mあたりの数値をよく見ます。一方、考察⑩-2, ⑬で紹介いただいた空技廠資料では、1750hp / 6450mと読めるのです。
warbirdperforma
nce
が
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三菱航空機設計者の堀越二郎氏は、試製烈風の性能が振るわない際「発動機性能は想定より3割も低下し」という有名な発言をされています。仮定となりますが、17試として設計が開始された当初1750hp / 6450mを想定したものが、暫定的であっても11型(今回のグラフでは1360hp / 6450mくらい)相当で試験を行えれば、得られる馬力が2割以上下がってしまいます。(1360 / 1750≒0.78)
試製烈風の性能が振るわないのは、発動機の影響が大きいとは思います。しかし、その出力が誉11型程度、他機種との比較の中で物足りないという事になら、それはそれで(低く)評価されていくかなと思います。また、最終的に、21型の予定性能が変わるならば、当初の大馬力を当てにした設計は本領発揮が困難と推定されます。
どんなプロダクツもそうですが、データシートを途中で改定するのは重大事です。私は、このデータシート変更への、機体設計者の認識と対応が非常に重要と思います。
<紫電・紫電改>
「戦闘馬力」で引用された『最強戦闘機 紫電改』(2010)のP.108で、紫電設計者菊原氏は以下述べておられます。
(1)誉の場合は、試作発動機を積んだ
(2)発動機は改造を重ねたのちに当初の予定よりもかなり低い馬力に抑えてどうやら使えるようになった
上記2点とも紫電11型についての回想内です。私は、これが1943年の誉に対する菊原氏のご認識と捉えています。
紫電21型は、今回頂いた①~③の設定違いで594→630km/hの速度差を持っています。紫電11型は予定される最高速度648km/hが580km/h程度に留まったとのことですが、1625hpの誉21型があれば610~620km/hくらい、もし仮に1750hp / 6450m版が提供されれば630km/h以上のインパクトある性能を発揮できたのかもしれません。
warbirdperforma
nce
が
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彩雲設計者の回想録にも、高度6000mにおける誉の最高出力は1600hpに留まり…という既述を見かけます。(そのため、推力排気管の装備が前提となる。また、機体の仕上げについても設計者内藤氏は工場側の頑張りを期待していました。生産も含め、一丸となっての350ktである、との記述がありました。)
他機種の妥協や工夫とは反対に、烈風だけは、当初予定の大馬力が設計上どうしても必要で、ハ43への換装も具申されています。あくまで現在からの私見ですが、1944年、翌年終戦となる中、1625hpの誉21型で高性能を発揮できる紫電改に海軍が総力を結集する流れになるのは当然と捉えられます。
長文になりましてすみません。今回の記事、誉と紫電改への考察をされていますが、紫電11型~21型の発展と実現できた性能は、当時の日本軍機が現実の中で最善を尽くす姿そのものだったと改めて認識いたしました。
また、誉21型の予定性能が変わった可能性は、単なる私の邪推です。長々とすみません。
今回も、素晴らしい記事を本当にありがとうございました。
P.S. 昔、バンダイの「1/24 紫電改」プラモデルの箱か説明書に「試作機は630km/hに達した」との既述がありました。私は、この記述が気に入ってwこのプラモを買った覚えがあります。この630km/hは、試作機と言えども速すぎでは…と気になってきましたが、ひょっとすると実際に出ていた速度かもしれず、嬉しい限りです
warbirdperforma
nce
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