はじめに
 大変ご無沙汰しております。久しぶりの更新になってしまい申し訳ありません。近頃色々と忙しく、投稿が滞ってしまいました。
  さて、今回は色々な書籍などで紹介されている「米軍が鹵獲機をテストしたら日本側のスペックを大きく上回る性能を発揮した」という噂を検証してみたいと思います。過去記事でも何回か触れていますが、この話は基本的に「嘘」と考えてもらって結構かと思います。

疾風の場合
 米軍テスト値の話で一番よく出るのが四式戦闘機「疾風」ではないでしょうか。まずはどんな説が一般に流布しているのか、便利だけどもデマの温床でもあるwikipediaをみてみましょう。
 2020年11月2日時点で「四式戦闘機」の項にて、『アメリカ軍はフィリピンの戦いで鹵獲した飛行第11戦隊所属であった第1446号機(1944年12月に製造された量産機)を使い、戦後の1946年(昭和21年)4月2日から5月10日にかけて、ペンシルベニア州のミドルタウン航空兵站部(Middletown Air Depot)で性能テストを行った。100オクタン/140グレードのガソリンとアメリカ製点火プラグを使用した四式戦は、武装を取り除いた重量7,490 lb (3,397 kg)の状態で(四式戦の正規全備重量は3,890 kg)、高度20,000 ft (6,096 m)において427 mph (687 km/h)を記録した。』との記述があります。非常に具体的に書いてあり、信ぴょう性がありそうな内容です。この部分の出典としてRene J Francillonの"Japanese Aircraft of the Pacific War"(1979)を挙げています。私は1988年版しかもっていないのですが、確かに大体似たようなことが書いてありました。
 では、そのもととなる一次資料は何かと考えると、米陸軍が1946年11月に出したレポート"T-2 Report on Frank-1 (Ki-84), T-2 Serial No.302"が挙げられるでしょう。早くも本レポートp.2では、重量は7940lb.で高度20000ftにて427mphの記述を見つけることが出来ます。しかもご丁寧に"FACTUAL DATA(実際のデータ)"とまで書いてあります。Francillonの重量7490lb.は単純に7940lb.の誤記と考えて問題なさそうです。
 これだけ見ると、戦後のテストで疾風は427mph出したのだと勘違いしそうですが、少し待ってください。これは、1945年3月付けの米軍による疾風のデータシートです。これは"TAIC MANUAL No.1"と呼ばれる日本軍機の性能諸元をまとめたものの一部で、加除式になっており新たな情報が加わった時には古いページを捨てて新しいページを挿入することができるようになっています。
 それでは早速このデータを見ていくと、重量は7940lb.で最高速度は20000ftで427mphとなっています。そうです。戦後に出された疾風のレポートは45年3月時点のデータを流用しただけだったのです。他の数値も見比べてみてください。基本的に同一のはずです。戦後、疾風が高オクタン燃料とアメリカ製点火プラグで高性能を発揮したというのはどうやら嘘だということが分かってもらえるのではないでしょうか。

TAIC MANUALの信ぴょう性
 なら「戦中に鹵獲した機体が427mphだしたのでは?」と思った方、確かにその可能性はあるかもしれません。ただ、残念ながらそうでない可能性の方が高そうです。
 TAIC MANUALの冒頭には色々と説明書きがあるのですが、性能に関しても以下のような記述があります。
TAIC MANUAL注記
 要約すれば「わざわざ書いていない限り性能は計算による推測値ですよ」といったところでしょうか。例えば、零戦52型のデータシートには飛行試験では340mph(547km/h)しか出ませんでしたと書いていながら、最高速度は戦時緊急出力で358mph(576km/h)としています。
 確かに疾風は戦中に鹵獲機による飛行試験が実施されていますが全速飛行を行ったという話は聞いたことが無く(過去記事参照)、TAIC SUMMARY #22は国会図書館でも表紙しか無いようなのでこれが読めればもっとはっきりすると思いますが、少なくとも現時点では427mphが実測値という限りなくゼロに近そうです。

雷電と紫電
 これも過去記事で何度か指摘しているのですが、雷電も紫電も鹵獲機のテストで好成績を発揮したことはありません。
 雷電に関しては、『〈考察⑦〉火星23型の性能について』でも指摘していますが全速飛行試験は実施されておらず、44年12月付の一番初めのデータシートでは日本側の計算値をそのまま使用しただけだと思われます。なお45年5月付のデータでは少し速度が向上しています。
 紫電についても、飛行試験は実施されましたが全速飛行試験は行われていません。1945年7月付の"TAIC SUMMARY #33 GEORGE11"によると、45分間の一度のフライトが実施されるも着陸時に右脚を破損してしまったようです。

その他の噂について
 米軍によるテスト値については、それ以外の機体にも「噂」が残されています。例えば彩雲は戦後375kt(695km/h)を計測したという話がありますし、同じくキ83は762km/hを計測したという伝説が残っています。
 彩雲は日本側のテストでは630~650km/hを記録したことがあるとされ、TAIC MANUALでもその最高速度を396mph(637km/h)と推測しています。ダイブしたとかではない限り700km/h近い速度を発揮したとは考えづらいでしょう。キ83についてもそもそも設計時の速度が700km/h少々なのですから、762km/hというのはかなり過剰に見えます。
 これはただの思い付きなのですが、もしかしたらマイルのノットを取り違えた?なんて可能性もあるかもしれません。375mphは603.5km/hですし、762km/hは411.4ktですが、411.4mphは662km/hになります。これくらいの速度だったら非常に現実味のある数字ではないでしょうか?

まとめ
 最後の与太話はともかくとして、米軍によるテスト値として広まっている数値は、決して実測値ではなく、あくまで計算値であるということが分かって頂けたのではないでしょうか。米軍は日本機の性能をあくまで過剰に評価しており(過少評価するよりはよっぽどマシですが)、それが誤って広まってしまったために、戦後75年が経った今でさえも高性能な日本軍戦闘機の幻影に惑わされてしまっている人は多いと思います。
 本ブログではこれからも日本軍航空機をはじめとして、確かな根拠に基づいた情報を追求していきたいと思っています。

参考HP:WWII Aircraft Performance