はじめに
 みなさまご無沙汰しております。今回は久しぶりの考察シリーズということで誉発動機の性能について考えてみます。タイトルにもある通り、今日の記事では考察⑱で行った誉21型の公称高度の変化とその理由について深掘りしていきたいと思っています。
 さっそくですが考察⑱では、
(1)誉21型の公称高度が時期によって大きく三つに分けられること
(2)そしてその二つめから三つめへの変化の理由に気化器の改修が関係しているのではないかということ
(3)また誉10型についても同様の公称高度の変化が起きているのではないかということ
の3点の可能性を指摘しましたが、あくまで指摘しただけで具体的な仮説を立てるというところまで論を進めることはできませんでした。しかしながら、今回の記事ではこの公称高度の変化+馬力性能の変化についてある程度の根拠をもとに仮説を提示してみたいと思います。

 ちなみに、ややこしくなりますのでこの記事では制式名称付与前であっても「誉21型」、「誉12型」等の名称を用い、略符号や試作名称は必要な場合を除き使いませんのでご了承ください。

誉21型の最初期の性能について
 前回記事で指摘したように、誉21型の性能は以下の3種類のものに大別できると考えています。

【初期】 離昇:2000PS 公称:1880PS@2000m前後 1700PS@6000m前後
【中期】 離昇:2000PS 公称:1900PS@1800m前後 1700PS@6400m前後
【後期】 離昇:1990PS 公称:1860PS@1750m前後 1625PS@6100m前後
※なお、上記の数字は資料によって馬力で10~20PS、公称高度で100~200mの差がありますので「前後」という表示を付けさせてもらっています。

 さてこのうち、あくまで私の知る限りですが、初期のものは昭和17年3月から、中期は昭和18年2月から、後期のものは昭和19年12月から確認することができます。これらのうち、まずは初期の性能がどういった性質のものかを考えてみます。

 初期の性能は、おそらく完成前の推定値と考えられます。その根拠のひとつは、昭和17年3月1日付で海軍航空本部によって作成された「試製発動機一覧表」という資料です。この資料の中では、誉21型は「十五試ル号改一〇一(NK9H)」として離昇2000PS、公称1880PS@1800m/1700PS@5800mの性能が与えられており、記事中に「製造中」と書かれているのです。

 ところで、誉21型の試作1号機の完成時期はいつなのでしょうか?調べてみたところはっきりとしたものは分かりませんでしたが、こちらの性能表によると昭和17年10月には地上運転試験が行われていますので、1号機の完成は昭和17年3月と10月の間のどこかということになりそうです。

 ちなみに誉21型試作1号機の完成以降も初期の性能は一時資料の中に見ることができます。例えば昭和18年1月作成の「試作機一覧表」では紫電や彩雲の欄で1700PS@6000mの表記があります。この資料内では性能の根拠を推算書や性能計算書に求めていますが、その最高速度発揮時の高度が6000mになっていることからも、性能計算書の作成時期から考えて1700PS@6000mは誉21型実機完成前の推定性能と考えてよいでしょう。

 そして、中期の1700PS@6400mこそが試作機による実測性能であったと考えられます。その根拠としては、先ほど示した性能グラフに加えて、昭和18年2月17日に中島飛行機が作成した「陸海軍試作発動機要目性能一覧表」を挙げたいと思います。この資料中では「ハ45(NK9H、NK9K)」の性能が「実測性能」として表記されているのです。

 以上のことから、初期の性能は試作機完成前の予想性能で、中期の性能は試作機完成後の性能であると考えられそうです。また、この時の性能は、圧縮比8.0、3000RPM、+350mmHgのフルスペックの性能だといえます。
※ただし、この実測性能は地上運転の結果求められた高空性能であって飛行試験の結果得られたものではないと思われます。

誉12型の性能
 続けて誉21型の後期の性能を考える前に、少し脱線して一度誉12型の性能について考えてみたいと思います。

誉12型の性能は、
 離昇:1825PS 公称:1670PS@2400m 1495PS@6550m
というものが一般的です。
 しかし、前回の記事では、奥宮・堀越『零戦』内の、1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』にて、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能1570馬力@6850mとしているデータや、NK9H-B(=誉12型)の性能を1520馬力@6800mとしている愛知航空機関係の資料をご紹介しました。これらの存在をどう考えればよいのでしょうか。

 ヒントは意外と手近なところにありました。何度も引用している誉21型の性能グラフから誉12型の運転条件で性能を拾ってみると、以下のようになりました。

離昇:1825PS@0m (2900RPM、+400mmHg)
公称:1700PS@2450m 1560PS@6850m (2900RPM、+250mmHg)

 いかがでしょうか。『零戦』内に出てきた誉22型運転制限下の性能と10馬力の差はありますが、ほとんど同一の2速公称高度を得ることができました。すなわち、この1560PS(1570PS)@6850mという数字は、誉21型の中期の性能と対応したものである、圧縮比8.0の時の性能であるといえそうです。

 となると、愛知航空機関係の1520馬力@6800mとしている資料は、圧縮比7.0の誉12型仕様の性能だと考えると辻褄があいそうです。この愛知航空機関係の資料というのは愛知航空機の尾崎紀男技師のノートのことで、昭和19年2月20日の『NK9BハB7用ハNK9BHトナル』との項で以下のような性能を読み取ることができます。

離昇:1760PS
公称:1790PS@2350m 1520PS@6800m
※ただし、公称1速の1790馬力は明らかに1690馬力の間違いか。また、別のページには離昇1780馬力、公称2速1530馬力と読み取れる部分あり。

これらの情報から、中期のフルスペック時および運転制限時の誉21型の性能、および誉12型の性能について考えを整理することができたかと思います。それでは、いよいよ公称高度の低下とそれに伴う性能の低下について考えていきます。

公称高度低下の理由を探る
 前回の記事(考察⑱)では、中期から後期にかけての2速公称高度の低下は気化器の改修にあると考えました。というのも木村昇陸軍技術少佐のノートに、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述があり、それが中期の6400m→後期の6100mへの変化と一致するのです。そして、その改修内容とは、航本機密第148号によって指示された、スロットル部円周から噴出させていた燃料を、中央部に設けた噴出管から噴出させる改造のことだと推理しました。
 ただ、公称高度の低下に関係しそうな改修はもうひとつありそうなのです。先ほど紹介した尾崎技師のノート『NK9BハB7用ハNK9BHトナル』の項を再現したものが以下の画像となります。
NK9BはB7用はNK9BHとなる(19-2-20)
 赤字のものが紹介した先ほど誉12型の性能ですが、注目してほしいのは緑色の線です。メタノール・スリンガー噴射によるものと推察されるこの線によって、公称高度が1速は150m、2速は400m低下していることが読み取れると思います。もしかしたら、木村少佐のいう「気化器改修」とは、メタノール噴射の翼車噴射を指している可能性があるのです。
 以下の画像は誉発動機の取扱説明書からの抜粋です。もし、翼車噴射改修前の噴射方式を「中央噴射」と呼称していたとすると、100mの差はありますが尾崎技師ノートと木村少佐ノートは同じものを指していることとなります。
誉12型取説
 また、1520PS@6800mが翼車噴射時の性能ではないのなら、逆算的に中期の誉21型の性能である1700PS@6400mと運転制限時の性能である1560PS@6850mも翼車噴射時の性能ではないことになります。実際、翼車噴射は誉21型試1号機からの仕様ではなかったようですので、辻褄はあいそうです。
 (ちなみにこの尾崎技師ノートでは誉11型の性能が従来知られているものよりも若干良くなっていますが、それについて考えるのはまたの機会ということで。)

 ちなみに誉12型の性能で注意しなければならないのは、尾崎技師ノートの1520PS@6800mの全開高度を6550mに下げても広く知られている誉12型の性能にはならないという点です。
 以下の画像は尾崎技師ノートから作成した2つの誉12型の性能グラフです。黒い実線が一般的に知られる誉12型の性能(性能A)で、赤い点線が翼車噴射未実装の誉12型の性能(性能B)を示しています。(性能Bの公称高度以上の馬力はデータがありませんでした。)
誉12型性能比較
 見てわかるように、地上公称馬力はほとんど同一なのにも関わらず高度馬力は性能Aが性能Bをわずかに下回っています。これは公称時の機械効率等が悪化していることを示しています。一方で離昇馬力は性能Aが性能Bを大きく上回っており、なんとも不思議です。これは私の勝手な推測ですが、公称地上馬力が同じなことから地上馬力自体は実測値だが、離昇、高度馬力の計算が性能Bでは単純な計算式が用いられ、性能Aではより詳細な検討が行われたのではと考えています。

後期の誉21型の性能
 さて、最後に誉21型の最終的な性能について考えてみます。以下は誉21型の中期後期の性能を比較したものです。一見して分かるように、後期中期と比べて公称高度が下がっていることに加え、全高度にわたって馬力も劣っていることが見て取れます。すなわち、両者の性能差は公称高度の低下ではなく何か別の要素が関係していると言えます。
誉21型性能比較
 この性能低下の要因として真っ先に挙げられるのが圧縮比の低下ではないでしょうか。手前味噌で恐縮ですが、考察⑰にて量産型の誉21型の圧縮比は7.2であった可能性を指摘させていただきました。圧縮比を8.0から7.2にした場合の具体的な馬力の変化がどれくらいになるかは分かりませんが、参考までに中期誉21型(圧縮比8.0)から誉12型(同7.0)への2900RPM、+250mmHg時の地上公称馬力性能の減少具合を比較してみると、
 1速:1550÷1570=98.7% ⇒ 1.3%の馬力減
 2速:1235÷1280=96.5% ⇒ 3.5%の馬力減

続いて中期誉21型(圧縮比8.0)から後期誉21型(圧縮比7.2?)への3000RPM、+350mmHg時の地上公称馬力の減り具合を比較してみると、
 1速:1760÷1790=98.3% ⇒ 1.7%の馬力減
 2速:1375÷1420=96.8% ⇒ 3.2%の馬力減
となり、かなり近い数値を示しています。これだけで圧縮比が原因とは言えませんが、ともかく後期の誉21型には馬力の低下に関わる何らかの仕様変更があったことは間違いないと思われます。

まとめ
 というわけでまとめに入りたいと思います。今回の記事ではまず、誉21型の性能を初期・中期・後期の3つの時期に分け、初期は実機完成前の推定性能であり、中期は実機完成後の実測性能であると考えました。続いて、誉21型の性能グラフと尾崎技師ノートのデータを参照しながら、2900RPMの運転条件での、圧縮比8.0のときと7.0の時の性能を比較し、さらに公称高度低下の原因がメタノール噴射方式の変更にあるのではないかと考えました。最後に、誉21型の後期の性能は公称高度の低下に加え、全高度域での馬力の低下が見られることを確認し、それが何らかの仕様変更に基づくものと考え圧縮比の低下がその最たる候補なのではないかと考えました。

 これらの仮説は誉21型の性能の変遷を矛盾なく説明することができそうですが、当然ながらまだまだ多くの謎が隠されています。例えば、昭和18年12月付で作成された「誉発動機取扱説明書」では、誉21型を翼車噴射式としながら2速公称高度を6100mではなく6400mとしています。いっぽうで誉12型の2速公称高度は6550mとなっています。
 また、考察⑱で公称高度低下の原因と考えた気化器の改修についての検討も必要です。この改修はいかにも吸気管内の圧力損失が大きくなりそうですので、もしかしたら誉21型では6400m⇒6100m以上の、誉12型では6850m⇒6550m以上の公称高度の低下が最終的には起きていた可能性があります。実際、誉12型(または同等の発動機)搭載機と考えられる速度データを見ると、全開高度は6200~6500m程度となっているのです。それに、公称高度の変化と比べると離昇馬力の変化が小さいことも疑問です。

 要するに分からないことがもっと増えたということで、誉エンジンの謎はますます深まるばかりです。もし誉21型、12型の一次資料をご存じのかたがいらっしゃいましたらぜひコメント欄等で教えていただけますと幸いです。もちろんご感想や誤りのご指摘もお待ちしております。
 というわけで、今回もお読みいただきありがとうございました。次回の更新がいつになるか分かりませんが、資料は色々と取り寄せているところですので近い将来皆様に紹介できると良いなと思っています。あまり期待しないで待っていただけると幸いです。笑