WW2航空機の性能:WarbirdPerformanceBlog

第二次大戦中の日本軍航空機を中心に、その性能を探ります。

2021年02月

誉21型(NK9H)馬力性能グラフ(8.4MB)
https://drive.google.com/file/d/1QdMz20087DcXCXWnIwYxA6WgiPMOZsfQ/view?usp=sharing

一次資料保管庫の第2段です。
私が個人的に持っている資料のスキャンですので、ご自由に活用してもらって問題ないと思います。
万が一何かで画像を使用される際は、併せて当ブログの宣伝もお願い致します<(_ _)>

ところで、私はA4サイズの一般的な家庭用のスキャナーしか持っていないので全くスキャン作業がはかどりませんし、図面なんかがあると全然きれいにスキャンできません。
なので今回分はこれだけです。
プロの業者に頼んだほうが良さそうです、、、

はじめに
 誉21型(NK9H、ハ45-21)の性能はどうにも時期によって違いがあるらしいことは、これまでの記事やコメントで言及をしてきましたが、今回の記事では、具体的にどのような変化があって、その変化の理由はなんなのかを少し考えてみようと思います。

3系統の性能
 今のところ私は、2速公称性能のデータから、誉21型の性能は大きく分けて3種類の系統に分けられるのではないかと考えています。ひとつは1942~43年の間に見られる高度6000mで1700馬力というもので、彩雲や紫電などの初期の誉21型発動機の性能はこの数値を基に計算されたのではないかと思います。ふたつ目は、馬力性能は1700馬力のままで変化はありませんが公称高度が6400mとなったもので、主に1944年の資料に広く用いられている印象です。最後が1944年末から使用される、高度6100mで1625馬力という数字です。
 参考として以下の表を作成しました。資料によってプラスマイナス50程度の差はあるものの、時期によって3系統に区別できそうなことが視覚的に分かってもらえると思います。
誉21型2速性能の変遷

その理由について
 では、なぜこのような違いが生じたのでしょうか。それが設計変更によるものなのか、それとも計算方法の変更によるものなのか、正直に言ってよく分かりません。特に公称高度が6000mから6400mへ上昇していることに関しては、現在のところ、なんら仮説の立てようもありません。ですが、6400mから6100mへの低下については、もしかしたら答えられるかもしれません。

 というのも、本ブログで何度も登場頂いている陸軍の木村技術少佐の残したノートによると、1943年12月30日の項でハ45について『気化器改修セルモノハ300m高度下ル(中央噴射)』との記述が残されているのです。つまり、気化器を中央噴射に改修したものは6400m-300m=6100mとなり、 辻褄は合いそうです。
 では、その中央噴射とは何を指しているのでしょうか?もしかしたら以下の画像のことかもしれません。
No.148
 これは、アジア歴史資料センターでダウンロード可能な、海軍航空本部部報(部内限)の1944年1月8日のものです。この航本機密第148号によると、誉20型の気化器を改造するように指示をしています。具体的には、従来は燃料を「ノド」管の円周から噴出させていたのを、中央部に噴出管を設けてここから噴出させるよう改造、となっています。これこそがまさしく、木村少佐の言う気化器の改修であり中央噴射ではないでしょうか。中央部に噴出管を設けた結果、吸気管内の抵抗が増えて公称高度が下がった、と考えるならばさらに辻褄は合います。
 しかしながら、気になるのは時期の問題と馬力性能の問題です。この改修指示が44年1月に出ているならば、44~45年中の書類に1700馬力@6400mの記載が残り続けていることと矛盾してしまいます。さらに、75馬力の性能低下との関連性はあるのでしょうか。
 この問題に対して答えるとするならば、改修後の性能が反映されるのに時間のズレがあったということ、そして馬力の低下は圧縮比の低下(8.0→7.0?)による影響かもしれないことが挙げられるでしょうか。

誉10型への影響
 ちなみに、同様の改修指示は1月27日付の航本機密第957号にて誉10型にも出されています。つまり、誉10型でも同様な公称高度の低下があったはずなのです。
 過去記事において、誉12型の2速公称性能は1495馬力@6550mであると紹介してきましたが、実はこの数字/あるいは類似の数字のなかで、私の見つけることの出来たもっとも早い時期のものは、44年5月1日付の『実験機性能表』にみえる1500馬力@6600mです。
 一方で、もっと公称高度の高いデータも残されています。奥宮・堀越『零戦』で1944年7月15日に堀越技師が航本、空技廠に提出したとされる『最近の戦闘機の性能解析表』では、誉22型(NK9K)の運転制限下の2速公称性能を1570馬力@6850mとしています。また愛知航空機関係のある資料では、44年2月の日付で誉21型の運転制限バージョンであるNK9H-Bの性能を1520馬力@6800mとしています。
 つまり、誉21型と同様に誉12型についても約300mの公称高度の低下および若干の馬力低下があったと考えてよさそうです(ただし、誉22型の運転制限下の性能はあくまで参考に留めるべきかもしれないが)。

まとめ
 それでは今回のまとめに入ります。私は、誉21型の性能は時期によって大きく3つの系統に分けられると考えています。ひとつ目から二つ目への変化の理由については今のところ不明ですが、二つ目から三つ目への変化は、気化器の改修が影響している可能性があります。また、この改修による公称高度の低下は誉12型においても起きている可能性があります。
 馬力性能の低下については、公称高度が下がったことによる吸気温度の上昇以上の影響が誉21型だとありそうですが、これは圧縮比を下げたことが原因かもしれません。
 ということで、以前の記事で「誉21型の性能の変化は馬力計算方法の変化かもしれない」と書きましたが、それはいったん保留でお願いします。


ところで全然話は変わりますが①
 誉発動機に関して、低圧燃焼噴射装置㋜=スリンガー噴射のように書いている書籍がありますが、たぶん違います。スリンガー噴射方式とは、扇車に燃料(水メタノール含む。2025/1/9編集)の噴射口を設けたもののことを指すはずで、この構造は誉12型および21型から採用されています。


ところで全然話は変わりますが②
 誉を搭載した烈風試作機がさっぱり速度が出なかったとの話について。誉の性能低下により2速公称で1300馬力程度しか出ず、最高速度は300ノットに留まったのですが、同時期の紫電改・彩雲も同程度の速度まで性能低下していました。(奥宮・堀越『零戦』より)
 これに関しては吸入系統の鋳物が不良で設計通りでなかったことが原因とされており、この問題は解決に至ったとされます。
 ということは、紫電改のテスト飛行がもしこの不良品の誉の時期に行われていたならば「紫電よりも速度は低いとはけしからん」と開発中止になっていたかもしれず、試製烈風の完成がもう少し早ければ計算通り330ノット弱を発揮し、「零戦の再来」として量産が進められていたかもしれません。とすればハ43搭載の烈風は生まれなかったかもしれず、、、と妄想は止まりません。


ということで、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんのご意見、ご感想や情報提供も是非是非お待ちしております。
よろしければ、是非コメントを残していってくださいませ!!

十三式二号艦上攻撃機 機体取扱説明書(20MB)
https://drive.google.com/file/d/1n1o-bLbN_ar7ZUcFxeL9xbkR5FpyWzAA/view?usp=sharing

九三式陸上中間練習機 操縦術教科書(27MB)
https://drive.google.com/file/d/10hgoWVbQNj7JFz1TgdDIPRZJh3Fh0ySp/view?usp=sharing

己式一型練習機 取扱法の参考(52MB)
https://drive.google.com/file/d/1C6TxSVLNKGqeDSAbYWBYcdsu5vr6u0K1/view?usp=sharing

私が個人的に所有している資料のスキャンです。ご自由にご活用ください。
現物は災害があると一瞬で消滅してしまうのでネット上に残しておこうとこないだの地震で思いました。
万が一出版物やSNS等で使われる場合は当ブログの宣伝をお願いします(笑)
これからも暇な時間を見つけてちょくちょくスキャンしてアップしようと思います。


※もしなにか問題等ありましたらお手数ですがコメント欄にてお願い致します。

栄21型の圧縮比は「7.2」?
 誉エンジンの圧縮比について色々と考えを巡らせているなかで、同じボア×ストロークを持つ栄エンジンについても色々と調べていました。すると、不思議なことに栄21型の圧縮比の情報が意外とあやふやなことに気づきました。ネットで検索してみると、大概のサイトが栄21型の圧縮比を「7.2」としていますが、それって本当なのでしょうか?

 実のところ、私の知る限り戦時中の一次資料は全て栄21型の圧縮比を「7.0」としています。公式の要目表でも、零戦の取扱説明書でも、操縦参考書でも何を見ても「7.0」なのです。ついでに言えば陸軍版のハ115においても、取説をはじめどの資料を見ても同じく「7.0」となっています。

 それでは、この「7.2」という数字の出どころは一体どこなのでしょうか。色々な資料を見てみると、『中島飛行機エンジン史』にたどり着きました。同書の巻末の一覧表を確認すると、なんと栄21型の圧縮比が「7.2」となっているのです。しかしながら、この表は結構乱暴な表で、栄10型の圧縮比が「6.7」であるべきところも同様に「7.2」と記載しているのです。ちなみに、もしかしたらこの表の元になったかもしれない、中島飛行機が終戦後に占領軍に提出したデータが国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できます。しかしながら、戦時中の一次資料と比較して考えると、残念ながら、少し信用度の落ちるデータだと感じています。

 結局のところ、栄21型の圧縮比は「7.0」と考えるのが妥当だろうと思います。でも、今回の記事はこれで終わりではありません。まだ続きがあります。誉の圧縮比です。

誉10型、20型の圧縮比は???
 誉10型の圧縮比は、当時の海軍の一次資料でも中島の資料でも「7.0」となっています。栄エンジンと同じボア・ストロークを採用しているわけですから、まず10型では圧縮比も実績のある「7.0」を踏襲したというのはあり得る話です。一方で、戦中の一次資料では誉21型の圧縮比は「8.0」となっています。ただ量産型のエンジンは高圧縮に耐えられず、圧縮比を落としたという話も伝わっています。事実、中島の資料では21型も「7.0」との記載となっています。果たして何が本当なのでしょうか。

 その謎を解くために、まずは取扱説明書にあたってみようと思います。日本航空協会のHPでPDFで公開されており、復刻版も書籍で出版されていますから、一次資料の中では比較的目にしたことのある方も多いと思います。取扱説明書内では10型も21型も圧縮比の値を明言してはいないのですが、誉21型のピストンについて、以下の画像のような説明がなされています。
誉21取説第三節
 つまり、上死点および下死点が3mm上へ持ち上がり、その分燃焼室の容積*が小さくなったことを意味します。
※厳密に言うとピストンが上死点に達した時の内燃室の最小容積。念のため。

 それでは、誉10型の圧縮比が「7.0」というのが正しいものと仮定して、ピストン頂部までの高さを3mm底上げした場合の圧縮比はどの程度になるのか、一度計算してみましょう。

圧縮比(CR)は、燃焼室容積(A)とシリンダー容積(B)の和を燃焼室容積で割ったものです。
すなわち、
CR=(A+B)/A・・・①
で表すことができます。
まずは、圧縮比「7.0」時の燃焼室容積A(立方ミリメートル)を求めてみます。
当然ながら、
CR=7・・・②
誉はボアが130mm、ストロークは150mmですから、
B=65^2×π×150・・・③
①の式を変形して計算しやすくすると、
A=B/(CR-1)・・・④
④に②、③を代入して、
A=65^2×π×150/(7-1)
を電卓に計算してもらうと、
A=331830.724・・・⑤
が得られました。
一方で誉21型では3mmの底上げがあったということは、
65^2×π×3=39819.687・・・⑥
底上げ分の体積である⑥を⑤から引いてあげると、3mm底上げ後の燃焼室容積(A')が出ます。
A'=292011.037
この結果を受けて、改めて圧縮比(CR')の計算を行うと、
CR'=(A'+B)/A'
CR'=7.818
ということで、3mmの底上げをおこなっても圧縮比は「7.8」にしかなりませんでした。
となると、実は誉21型の圧縮比は実は「7.8」だったのでしょうか?

 ここで私はふとある記述を思い出しました。米軍が鹵獲した誉21型の圧縮比は、実測値で「7.17」であったと。鹵獲された誉は量産型ですから、なるほど圧縮比も「8.0」から抑えられていそうです。そして、誉の圧縮比を手っ取り早く下げる方法は、ガリガリ内側を削るのではなくて、誉21型で3mm底上げされたピストンを10型仕様のものに戻すことではないでしょうか。
 となると、燃焼室の形状が誉10型と21型では異なっており、「誉10型の燃焼室形状」+「誉10型のピストン」で圧縮比7.0を、「誉21型の燃焼室形状」+「底上げ3mmのピストン」で圧縮比「8.0」を実現しているのではないかと考えました。そして「誉21型の燃焼室形状」+「誉10型のピストン」で圧縮比を下げ「7.17」としたのが誉21型量産品ではないでしょうか。

 この仮説に基づいて、再度計算をしてみます。
圧縮比が「7.17」で、ボア×シリンダーが130×150mmとすれば、燃焼室容積をX、シリンダー容積をYと置くと、
X=(65^2×π×150)/(7.17-1)
X=322687.900・・・⑦
そして⑦から⑥を引いて、「誉21型の燃焼室形状」かつ「底上げ3mmのピストン」時の燃焼室容積X'を求めると、
X'=282868.213
となりました。
これをもとに再度圧縮比(cr)の計算を行うと、
cr=(X'+Y)/X'
cr=8.038
となり、見事圧縮比「8.0」を得ることが出来ました。

 ところで、「7.17」ってどこかで見たような気がしませんか?そうです。栄21型の圧縮比とされていた「7.2」に非常に近い数字なのです。もしかしたら、誉21型の圧縮比制限後の数値が戦後、機密書類焼却後の中島社内に残っており、占領軍に提出する資料を作成する中で栄21型の圧縮比と混同されたのか、はたまた生産の合理化のために後期型の栄エンジンは誉と共通の圧縮比「7.2」とされていたのでしょうか。

一旦まとめると、私の仮説では以下の表のようになるかと思います。
誉圧縮比表仮説

 さて、本仮説を立証するためには、なるべく製造時期の判明している栄・誉エンジンをかき集めて実際に燃焼室容積を計測してみる必要があります。
 具体的には、⑤から⑦を引いた9142.823立方mmの差を持つ二種類の燃焼室形状に区分できると仮説は立証されたことになるのですが、、、と、ここまで書いて私の今回の考察は終わらざるを得ません。
 なぜなら、そんなことを実際にやれるはずがないからです。ですから、これは一生仮説のままで終わりそうです。

まとめ
 長くなってしまいましたが、今回のまとめです。栄21型の圧縮比は戦中の一次資料を見る限り、「7.0」と考えるのが妥当なようです。戦後の出版物やインターネットサイトは大概「7.2」としていますが、中島の資料が基になっていると思われます。それかいつの間に誰かが実測したんでしょうか?それを私が知らないだけなのかも。

 一方で誉エンジンの圧縮比は一次資料を確認すると10型が「7.0」、21型は「8.0」となっていますが、誉21型の量産型については米軍による実測値も考慮すると「7.2」程度だったのではないかと思われます。そのうえで、燃焼室の形状やピストンには10型用のものと21型用のものが存在していたのではないかと考えていますが、実際に計測をしたわけではないため、仮説の域を出ません。なにかご存じの情報がありましたら、どなたか是非とも教えてください。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければご意見ご感想お待ちしております。

はじめに
 一式陸上攻撃機の性能については、過去記事にて一一型・一三型のみ取り上げましたが、今回は二二型以降も加えています。しかしながら、詳細な性能データは手に入っていませんので、各タイプ毎の最高速度や上昇時間を簡単に紹介し、併せてその性能差について考えてみたいと思います。
 この記事の位置づけは、性能紹介+多少の考察といった感じで考えております。

各型式の性能表

 この表は海軍および三菱の資料に基づいています。「?」もしくは「括弧」がついている部分は私の推定であることを示しています。
※このままでは見辛いと思いますので別タブで開くなどしていただき、本文と併せてご覧いただければればと思います。
G4M性能比較表

 まずは一一型の性能から見ていくことにします。まず偵察状態の性能は試作1号機を用いて、飛行重量9500kgの状態で測定されています。また、爆弾倉には整流カバーが装着されているものと推察されます。というのも一式陸攻は二二型の途中まで開閉式の爆弾倉扉が無く、爆装状態では爆弾や魚雷が外から丸見えの状態で、爆弾の不要な偵察任務時は当該部分を隠すように整流カバーが取り付けられていたのです。そんなこんなで試作1号機は高度4200mで240kt(444km/h)を発揮しました。
 一方で一一型の爆撃状態では同高度で231kt(428km/h)を記録し、結果9ktのマイナスとなっています。なお、爆撃状態の総重量は12500kgが基本なのですが、脚強度の問題から初期の機体は12000kgに制限されていたようなので、この性能も重量が制限されていたものと思われます。ということで、この9ktの差は約3tの重量+爆雷装関係による空気抵抗の差と考えられます。

 次いで一三型です。本機は発動機を火星11型から15型に換装し高高度性能の向上を目指した型です。第241号機がまず試験的に本発動機に換装し実験を行った結果、偵察状態の重量9500kgにて、高度5900mで244kt(452km/h)と見事に性能アップを果たしています。さらに948号機では推力式単排出管装備の実験が行われ、同じく9500kgの重量で248kt(459km/h)@5450mと4ktの増速効果を得ています。全開高度が500m近く落ちているのは理由がよく分かりませんが、いずれにしても結果として全高度帯において最高速度が向上、上昇限度および上昇力も強化されています。また、三菱の資料では単排出管装備・爆撃状態での一三型の性能を高度5425mで239.5kt(444km/h)としています。
 まだまだ機体の改造は続きます。「一式ライター」と自軍から嘆かれたその防弾性能の強化のため、一三型の途中から防弾ゴムが主翼下面に貼られることになりました。その結果、空技廠の実験によると偵察状態において最高速度245kt(454km/h)@5320mとなり、5kt程度の速度低下が見られました。この時の排出管の形状はおそらく推力式のものと推察されます。速度低下の原因としてはゴムによる主翼断面の形状変化等による抵抗の増加が主なものと考えます。

 一式陸攻にとって最初の大きな改造は、G4M1からG4M2への進化でしょう。エンジンを水メタノール噴射装置が追加された火星21型へ換装し、主翼も層流翼形へと大きく変更されました。これが二二型です。これによって最高速度は一気に275kt(509km/h)へと向上するはずでした。
 しかしながら、現実はそう甘くはなく試作2号機の最高速度は高度5000mで253kt(469km/h)に留まっています。本機についてはVDM式プロペラを装備し、防弾ゴムは貼られていません。また排出管は非推力式とされていますが、他形式の機体の性能と比較するとやや疑問が残りますので表中には「?」を付しました。
 さらに悪いことに、装備が予定されていた最新のVDMプロペラは戦闘機への装備が優先されたため、二二型の量産機には旧式のハミルトン式プロペラ調速装置に天山のブレードを手直ししたものを装備することになってしまいました。その結果プロペラ効率は大きく低下し、主翼下面に防弾ゴムも取り付けられたG4M2の増加試作5号機の最高速度は重量12500kgの爆撃状態で236kt(437km/h)@4600mと一一型と同等の性能にまで落ち、発動機の出力向上にも関わらずむしろ上昇性能に関しては悪化さえしています。ここまでの性能悪化をみると本機については爆弾倉扉も付いていない状態で試験したものと思われます。

 ところで、火星21型装備の二二型は雷電同様ひどい振動に悩まされました。そのためプロペラ減速比を変更した火星25型にエンジンを換装したのが一式陸攻二四型です。本機の第1号機は重量11000kgにて243kt(450km/h)@5157.5mを記録し、二二型と比較し7ktの速度向上を得ています。これは飛行重量の影響を除くと振動問題の解消および二二型の途中から導入された爆弾倉扉の効果と考えられます。
 なお、桜花搭載用の二四丁型は海軍の諸元表によると高度4600mで214kt(396km/h)と大きく速度を落としています。極端な重量と空気抵抗の増加を受けた結果と考えられ、これでは目標到達前に撃墜されるのもむべなるかなといった印象です。

 一方で高高度性能を向上させた火星27型を装備した一式陸攻二五型が1機だけ試作されました。本機は高度6670mで251.6kt(466km/h)と優秀な成績を残しましたが、発動機生産工場の被爆によって後が続きませんでした。本機は雷電でいうと三三型に相当する機種であり、この性能は雷電三三型の性能を推定する際の参考となり得ます。

 一式陸攻最後の大改造はG4M3、一式陸攻三四型となります。これは一式陸攻の完全防弾を目指したもので、翼下面の防弾ゴムを廃止して翼内防弾タンクを備えたため、主翼の構造はほとんど別物となっています。この三四型の試作3号機は重量11000kgで最高速度259.7kt(481km/h)@5066m全タイプの中で最優秀の成績を残しています。ちなみに、海軍系の資料では三四型のプロペラをハミルトン式としていますが、三菱系の資料ではVDMとしています。おそらく二二型と同様に初期の試作機はVDMを装備し、量産機はハミルトン式だったのではないでしょうか。試作3号機の259.7ktという数値も、他の機体との比較からVDM装備であったと考えるのが妥当だと感じています。
 その他にも、三四型の性能としては三菱の資料に登場する高度4890mで254kt(470km/h)という数値や、海軍の資料に現れる高度5000mで246kt(456km/h)というデータがあります。この両者の関係については資料に乏しく推測するのも難しいといった感じですが、少なくとも後者の246ktという数値は二四型の243ktから3kt速くなっており、防弾ゴム廃止の効果とみることが出来るのではないでしょうか。


 さて、矢継ぎ早に一式陸攻の各型式の性能を概観してきました。結局のところ、速度性能という観点から言えば性能の向上はほとんど見られなかったと言ってよいと思います。一方で防御性能については順次強化されていき、少なくとも三四型においては「一式ライター」の汚名は返上することができていたのではないかと思います。
 賛否両論ある一式陸攻の葉巻型のその外観は、スマートではないにしても、精悍で力強い印象を受けます。私は格好いいと思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

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