WW2航空機の性能:WarbirdPerformanceBlog

第二次大戦中の日本軍航空機を中心に、その性能を探ります。

2020年11月

はじめに
 当ブログでも陸軍の一式戦闘機「隼」の性能に関して「一型」、「二型」と取り上げており、また零戦と比較したりハ115エンジンの性能についての考察も試みてきました。
 そこで本記事では今まで取り上げてこなかった三型の性能についても考えてみながら、隼の性能を整理してみたいと思います。ただ隼の性能は分からないことが多すぎて、よく分からないことが改めて分かったというような文章になっていることをはじめにお断りしておきます。

一型の性能
 まず第一に、隼一型の話から進めようと思います。一般に、隼一型の性能は、

最高速度 495km/h@4000m
上昇時間 5000mまで5分13秒

という数値が知られていたと思います。
 この数値自体は一次資料『「キ43」操縦の参考』内にも見つけることのできるれっきとしたものなのですが、少し気になる点も存在しています。
 まず495km/h@4000mという速度は、主タンクは満タンですが補助タンクに燃料を半分しか積んでいない「常装備」状態とされる条件で計測されたものと考えられ、機内の燃料タンクを満タンにした時の最高速度は与圧高度3700mで474km/hとされています。両者の重量には約200kgの差があり、速度差は約20km/hということになります。本当にそんなに差が出るのかという疑問はありますが、ともかくとして495km/hという数字にはこういう訳があります。なおエンジン回転数やブースト圧は不明です。

 一方で5000mまで5分13秒というデータは、量産型の隼一型とは異なった主翼を備えていた機体の数字だと考えられます。旧陸軍の木村技術中佐のノートが防衛研究所史料閲覧室に所蔵されているのですが、翼面積を通常の22.0m^2から翼端を切断し21.4m^2とした試作8号機の試験結果として5000mまで5分12.5秒という数字が出てくるのです。それ以外の高度での上昇時間も『「キ43」操縦の参考』と一致しています。試験時の重量は1965kgとされ、これは常装備重量と想定されます。
 それでは燃料満載時の上昇性能はどの程度だったのでしょうか。上述の『「キ43」操縦の参考』内には92オクタン燃料使用時の燃料満載状態での上昇時間も記載されており、例えば5000mまでは5分31秒との数字が残されています。なお、切断翼機のエンジン回転数は毎分2550回、92オクタン燃料使用機は2600回転となっていますが、オクタン価の差の影響がどこまであったかは疑問です。

 ちなみに、切断翼機の試験ではもちろん最高速度の試験も行われているのですが、高度5000m~6000mで500km/hを計測しています。ただしこの速度はエンジン回転数が毎分2700回転で計測されており、離昇馬力での試験結果と考えられます。となると、冒頭の495km/hとの速度差が5km/hしかないことを考えると、この数値も離昇馬力で測定されたものなのかもしれません。この頃は「公称」=「離昇」だったり「高力」やら「最大」やらの用語があったりとエンジン運転条件が分かりづらく、最高速度の測定もいわゆる公称馬力ではなく許容最大馬力で測定されている例が見られるのです。

二型の性能
 二型の性能は一型に比べて不明な点が多く存在します。一般によく知られるのは、

最高速度 515km/h@6000m

というものでしょう。上記の数字は二型の審査結果と考えられ、このときの上昇時間は5000mまで5分49秒とされています。以前の記事では零戦と比較した隼2型の低性能をエンジン運転制限によるものと考えましたが、上記試験は公称出力の規定通り毎分2700回転、吸気圧力+200mmHgにて測定されたものでした。そのうえで、主翼は22.0m^2、排気管は非推力式の集合排気管であったと考えられます。

 一方で、隼2型はその生産期間を通じて絶え間ない改修が加えられています。性能に大きく影響しそうなところでは、カウリングの形状変更、翼端の切断(22.0m^2から21.4m^2へ)、推力式排気管の採用(集合排気管および単排気管)が挙げられます。一部書籍では短翼・集合排気管の性能が最高速度536km/h@6000mで上昇時間が5000mまで4分48秒としてそのソースを中島飛行機資料とし、短翼・単排気管の性能を(おそらく先述の木村技術中佐資料より)548km/h@6000mとしています。

 これらの数値の妥当性について考えてみます。まず「536km/h~」という性能に関しては、そのもととなった中島飛行機の資料を見たことがありません。しかし、安藤成雄『日本陸軍機の計画物語』内に昭和16年10月時点の資料としてキ43性能向上型の最高速度が537km/h@6000mで上昇時間が5000mまで4分18秒という数字を見つけることができ、どうにも両者は似ているなと思っています。16年10月というタイミングでは、まだ二型の実機の完成前であり、データは計算値であるはずです。であれば中島飛行機に残されていたとされる数字も実飛行前の計算値なのかもしれません。実物資料を見てみないことには判断がなんともつきませんが。
 続いて「548km/h~」という性能ですが、木村中佐のメモを見ると過給機一速時の最高速度は502km/h@2800mとなっています。それが非常に怪しいのです。というのも、515km/h@6000mを記録した長翼型の一速過給機での最高速度が高度3340mで504km/hなのです。空力的に洗練されたカウリング、切断翼と推力式排気管を備えていながら逆に遅くなっているなどあり得ないのです。ちなみに木村中佐は同時にエンジン回転数を「2600?」とも書いています。となれば、この一連の数値はハ115エンジンの運転制限下の性能とも考えられますが、ならばなぜ二速過給機では大きく速度が勝っているのでしょうか?いずれにせよ疑問の残るデータです。
 一方で木村中佐のメモには、キ43IIの6932号機の数値として「560k/6000m」の記述もあり「n=2800ハspd出ヌ、2700ノ方ヨシ」とのコメントが付いています。6932号機という数字が正確であれば、昭和19年3月生産分の機体と考えられます。また、第59戦隊の南郷大尉の陣中日記には「二型は軽く550キロくらい出」るとあるそうですから、結局のところ隼二型の後期型は550km/h前後出ていたのは確かだと思われます。

三型の性能
 三型の性能はさらに輪をかけて不明な点が多いです。そもそもハ115IIエンジンの詳細な性能すらまだよくわかっていません。そんな中、隼三型の性能は、最高速度が6000m付近で560km/h程度とされ、上昇時間は5000mまで5分19秒とのデータがあります。
 例えば信用できる航本技術部作成の資料だと、560km/h@5850m、532km/h@9000mとの数字が残されていますし、木村中佐メモでは一速527km/h@3500m、二速555km/h@6100mとなっています。

 しかしながら、二型が550km/h程度出せていたと考えると、これらの数字では性能向上がほとんどなかったということになってしまいます。三型は水メタノール噴射装置を追加したハ115IIエンジンを装備していたはずですから、20km/h程度の速度向上は期待してもいいはずです。丸2019年6月号の土井津たけお氏の記事におもしろい考察がありました。三型は落下タンク懸吊架の装備が標準化しており、これが約25km/hの速度低下を生んだのではないかとの話です。現に米軍は隼三型の最高速度を358mph(576km/h)と見積もっています。ただし、当然ながら懸吊架の話には確たる証拠があるわけではありません。

まとめ
 という訳で、隼の各型の性能について考えてみました。各データの出所をつきつめていくと、余計に訳が分からなくなっていくことが分かって頂けたのではないでしょうか。
 簡単にまとめると、まず一型は最高速度は500km/h程度と考えられますが、もしかしたら離昇馬力で計測されたものかもしれません。速度も上昇時間も重量の条件をよく確認しておく必要があります。
 二型は最高速度が最初期の515km/hから後期型の550km/h程度まで向上しましたが、翼面積の減少や排気管の変更等が影響したものと考えられます。エンジンの運転制限の影響はよく分かりません。
 三型の最高速度は二型の後期型とあまり変わっていませんが、これは懸吊架による影響かもしれませんし、そうではないかもしれません。もしそうなら、575km/hは出せていたものと思われます。

はじめに
 大変ご無沙汰しております。久しぶりの更新になってしまい申し訳ありません。近頃色々と忙しく、投稿が滞ってしまいました。
  さて、今回は色々な書籍などで紹介されている「米軍が鹵獲機をテストしたら日本側のスペックを大きく上回る性能を発揮した」という噂を検証してみたいと思います。過去記事でも何回か触れていますが、この話は基本的に「嘘」と考えてもらって結構かと思います。

疾風の場合
 米軍テスト値の話で一番よく出るのが四式戦闘機「疾風」ではないでしょうか。まずはどんな説が一般に流布しているのか、便利だけどもデマの温床でもあるwikipediaをみてみましょう。
 2020年11月2日時点で「四式戦闘機」の項にて、『アメリカ軍はフィリピンの戦いで鹵獲した飛行第11戦隊所属であった第1446号機(1944年12月に製造された量産機)を使い、戦後の1946年(昭和21年)4月2日から5月10日にかけて、ペンシルベニア州のミドルタウン航空兵站部(Middletown Air Depot)で性能テストを行った。100オクタン/140グレードのガソリンとアメリカ製点火プラグを使用した四式戦は、武装を取り除いた重量7,490 lb (3,397 kg)の状態で(四式戦の正規全備重量は3,890 kg)、高度20,000 ft (6,096 m)において427 mph (687 km/h)を記録した。』との記述があります。非常に具体的に書いてあり、信ぴょう性がありそうな内容です。この部分の出典としてRene J Francillonの"Japanese Aircraft of the Pacific War"(1979)を挙げています。私は1988年版しかもっていないのですが、確かに大体似たようなことが書いてありました。
 では、そのもととなる一次資料は何かと考えると、米陸軍が1946年11月に出したレポート"T-2 Report on Frank-1 (Ki-84), T-2 Serial No.302"が挙げられるでしょう。早くも本レポートp.2では、重量は7940lb.で高度20000ftにて427mphの記述を見つけることが出来ます。しかもご丁寧に"FACTUAL DATA(実際のデータ)"とまで書いてあります。Francillonの重量7490lb.は単純に7940lb.の誤記と考えて問題なさそうです。
 これだけ見ると、戦後のテストで疾風は427mph出したのだと勘違いしそうですが、少し待ってください。これは、1945年3月付けの米軍による疾風のデータシートです。これは"TAIC MANUAL No.1"と呼ばれる日本軍機の性能諸元をまとめたものの一部で、加除式になっており新たな情報が加わった時には古いページを捨てて新しいページを挿入することができるようになっています。
 それでは早速このデータを見ていくと、重量は7940lb.で最高速度は20000ftで427mphとなっています。そうです。戦後に出された疾風のレポートは45年3月時点のデータを流用しただけだったのです。他の数値も見比べてみてください。基本的に同一のはずです。戦後、疾風が高オクタン燃料とアメリカ製点火プラグで高性能を発揮したというのはどうやら嘘だということが分かってもらえるのではないでしょうか。

TAIC MANUALの信ぴょう性
 なら「戦中に鹵獲した機体が427mphだしたのでは?」と思った方、確かにその可能性はあるかもしれません。ただ、残念ながらそうでない可能性の方が高そうです。
 TAIC MANUALの冒頭には色々と説明書きがあるのですが、性能に関しても以下のような記述があります。
TAIC MANUAL注記
 要約すれば「わざわざ書いていない限り性能は計算による推測値ですよ」といったところでしょうか。例えば、零戦52型のデータシートには飛行試験では340mph(547km/h)しか出ませんでしたと書いていながら、最高速度は戦時緊急出力で358mph(576km/h)としています。
 確かに疾風は戦中に鹵獲機による飛行試験が実施されていますが全速飛行を行ったという話は聞いたことが無く(過去記事参照)、TAIC SUMMARY #22は国会図書館でも表紙しか無いようなのでこれが読めればもっとはっきりすると思いますが、少なくとも現時点では427mphが実測値という限りなくゼロに近そうです。

雷電と紫電
 これも過去記事で何度か指摘しているのですが、雷電も紫電も鹵獲機のテストで好成績を発揮したことはありません。
 雷電に関しては、『〈考察⑦〉火星23型の性能について』でも指摘していますが全速飛行試験は実施されておらず、44年12月付の一番初めのデータシートでは日本側の計算値をそのまま使用しただけだと思われます。なお45年5月付のデータでは少し速度が向上しています。
 紫電についても、飛行試験は実施されましたが全速飛行試験は行われていません。1945年7月付の"TAIC SUMMARY #33 GEORGE11"によると、45分間の一度のフライトが実施されるも着陸時に右脚を破損してしまったようです。

その他の噂について
 米軍によるテスト値については、それ以外の機体にも「噂」が残されています。例えば彩雲は戦後375kt(695km/h)を計測したという話がありますし、同じくキ83は762km/hを計測したという伝説が残っています。
 彩雲は日本側のテストでは630~650km/hを記録したことがあるとされ、TAIC MANUALでもその最高速度を396mph(637km/h)と推測しています。ダイブしたとかではない限り700km/h近い速度を発揮したとは考えづらいでしょう。キ83についてもそもそも設計時の速度が700km/h少々なのですから、762km/hというのはかなり過剰に見えます。
 これはただの思い付きなのですが、もしかしたらマイルのノットを取り違えた?なんて可能性もあるかもしれません。375mphは603.5km/hですし、762km/hは411.4ktですが、411.4mphは662km/hになります。これくらいの速度だったら非常に現実味のある数字ではないでしょうか?

まとめ
 最後の与太話はともかくとして、米軍によるテスト値として広まっている数値は、決して実測値ではなく、あくまで計算値であるということが分かって頂けたのではないでしょうか。米軍は日本機の性能をあくまで過剰に評価しており(過少評価するよりはよっぽどマシですが)、それが誤って広まってしまったために、戦後75年が経った今でさえも高性能な日本軍戦闘機の幻影に惑わされてしまっている人は多いと思います。
 本ブログではこれからも日本軍航空機をはじめとして、確かな根拠に基づいた情報を追求していきたいと思っています。

参考HP:WWII Aircraft Performance

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