はじめに
当ブログでも陸軍の一式戦闘機「隼」の性能に関して「一型」、「二型」と取り上げており、また零戦と比較したりハ115エンジンの性能についての考察も試みてきました。
そこで本記事では今まで取り上げてこなかった三型の性能についても考えてみながら、隼の性能を整理してみたいと思います。ただ隼の性能は分からないことが多すぎて、よく分からないことが改めて分かったというような文章になっていることをはじめにお断りしておきます。
一型の性能
まず第一に、隼一型の話から進めようと思います。一般に、隼一型の性能は、
最高速度 495km/h@4000m
上昇時間 5000mまで5分13秒
という数値が知られていたと思います。
この数値自体は一次資料『「キ43」操縦の参考』内にも見つけることのできるれっきとしたものなのですが、少し気になる点も存在しています。
まず495km/h@4000mという速度は、主タンクは満タンですが補助タンクに燃料を半分しか積んでいない「常装備」状態とされる条件で計測されたものと考えられ、機内の燃料タンクを満タンにした時の最高速度は与圧高度3700mで474km/hとされています。両者の重量には約200kgの差があり、速度差は約20km/hということになります。本当にそんなに差が出るのかという疑問はありますが、ともかくとして495km/hという数字にはこういう訳があります。なおエンジン回転数やブースト圧は不明です。
一方で5000mまで5分13秒というデータは、量産型の隼一型とは異なった主翼を備えていた機体の数字だと考えられます。旧陸軍の木村技術中佐のノートが防衛研究所史料閲覧室に所蔵されているのですが、翼面積を通常の22.0m^2から翼端を切断し21.4m^2とした試作8号機の試験結果として5000mまで5分12.5秒という数字が出てくるのです。それ以外の高度での上昇時間も『「キ43」操縦の参考』と一致しています。試験時の重量は1965kgとされ、これは常装備重量と想定されます。
それでは燃料満載時の上昇性能はどの程度だったのでしょうか。上述の『「キ43」操縦の参考』内には92オクタン燃料使用時の燃料満載状態での上昇時間も記載されており、例えば5000mまでは5分31秒との数字が残されています。なお、切断翼機のエンジン回転数は毎分2550回、92オクタン燃料使用機は2600回転となっていますが、オクタン価の差の影響がどこまであったかは疑問です。
ちなみに、切断翼機の試験ではもちろん最高速度の試験も行われているのですが、高度5000m~6000mで500km/hを計測しています。ただしこの速度はエンジン回転数が毎分2700回転で計測されており、離昇馬力での試験結果と考えられます。となると、冒頭の495km/hとの速度差が5km/hしかないことを考えると、この数値も離昇馬力で測定されたものなのかもしれません。この頃は「公称」=「離昇」だったり「高力」やら「最大」やらの用語があったりとエンジン運転条件が分かりづらく、最高速度の測定もいわゆる公称馬力ではなく許容最大馬力で測定されている例が見られるのです。
二型の性能
二型の性能は一型に比べて不明な点が多く存在します。一般によく知られるのは、
最高速度 515km/h@6000m
というものでしょう。上記の数字は二型の審査結果と考えられ、このときの上昇時間は5000mまで5分49秒とされています。以前の記事では零戦と比較した隼2型の低性能をエンジン運転制限によるものと考えましたが、上記試験は公称出力の規定通り毎分2700回転、吸気圧力+200mmHgにて測定されたものでした。そのうえで、主翼は22.0m^2、排気管は非推力式の集合排気管であったと考えられます。
一方で、隼2型はその生産期間を通じて絶え間ない改修が加えられています。性能に大きく影響しそうなところでは、カウリングの形状変更、翼端の切断(22.0m^2から21.4m^2へ)、推力式排気管の採用(集合排気管および単排気管)が挙げられます。一部書籍では短翼・集合排気管の性能が最高速度536km/h@6000mで上昇時間が5000mまで4分48秒としてそのソースを中島飛行機資料とし、短翼・単排気管の性能を(おそらく先述の木村技術中佐資料より)548km/h@6000mとしています。
これらの数値の妥当性について考えてみます。まず「536km/h~」という性能に関しては、そのもととなった中島飛行機の資料を見たことがありません。しかし、安藤成雄『日本陸軍機の計画物語』内に昭和16年10月時点の資料としてキ43性能向上型の最高速度が537km/h@6000mで上昇時間が5000mまで4分18秒という数字を見つけることができ、どうにも両者は似ているなと思っています。16年10月というタイミングでは、まだ二型の実機の完成前であり、データは計算値であるはずです。であれば中島飛行機に残されていたとされる数字も実飛行前の計算値なのかもしれません。実物資料を見てみないことには判断がなんともつきませんが。
続いて「548km/h~」という性能ですが、木村中佐のメモを見ると過給機一速時の最高速度は502km/h@2800mとなっています。それが非常に怪しいのです。というのも、515km/h@6000mを記録した長翼型の一速過給機での最高速度が高度3340mで504km/hなのです。空力的に洗練されたカウリング、切断翼と推力式排気管を備えていながら逆に遅くなっているなどあり得ないのです。ちなみに木村中佐は同時にエンジン回転数を「2600?」とも書いています。となれば、この一連の数値はハ115エンジンの運転制限下の性能とも考えられますが、ならばなぜ二速過給機では大きく速度が勝っているのでしょうか?いずれにせよ疑問の残るデータです。
一方で木村中佐のメモには、キ43IIの6932号機の数値として「560k/6000m」の記述もあり「n=2800ハspd出ヌ、2700ノ方ヨシ」とのコメントが付いています。6932号機という数字が正確であれば、昭和19年3月生産分の機体と考えられます。また、第59戦隊の南郷大尉の陣中日記には「二型は軽く550キロくらい出」るとあるそうですから、結局のところ隼二型の後期型は550km/h前後出ていたのは確かだと思われます。
三型の性能
三型の性能はさらに輪をかけて不明な点が多いです。そもそもハ115IIエンジンの詳細な性能すらまだよくわかっていません。そんな中、隼三型の性能は、最高速度が6000m付近で560km/h程度とされ、上昇時間は5000mまで5分19秒とのデータがあります。
例えば信用できる航本技術部作成の資料だと、560km/h@5850m、532km/h@9000mとの数字が残されていますし、木村中佐メモでは一速527km/h@3500m、二速555km/h@6100mとなっています。
しかしながら、二型が550km/h程度出せていたと考えると、これらの数字では性能向上がほとんどなかったということになってしまいます。三型は水メタノール噴射装置を追加したハ115IIエンジンを装備していたはずですから、20km/h程度の速度向上は期待してもいいはずです。丸2019年6月号の土井津たけお氏の記事におもしろい考察がありました。三型は落下タンク懸吊架の装備が標準化しており、これが約25km/hの速度低下を生んだのではないかとの話です。現に米軍は隼三型の最高速度を358mph(576km/h)と見積もっています。ただし、当然ながら懸吊架の話には確たる証拠があるわけではありません。
まとめ
という訳で、隼の各型の性能について考えてみました。各データの出所をつきつめていくと、余計に訳が分からなくなっていくことが分かって頂けたのではないでしょうか。
簡単にまとめると、まず一型は最高速度は500km/h程度と考えられますが、もしかしたら離昇馬力で計測されたものかもしれません。速度も上昇時間も重量の条件をよく確認しておく必要があります。
二型は最高速度が最初期の515km/hから後期型の550km/h程度まで向上しましたが、翼面積の減少や排気管の変更等が影響したものと考えられます。エンジンの運転制限の影響はよく分かりません。
三型の最高速度は二型の後期型とあまり変わっていませんが、これは懸吊架による影響かもしれませんし、そうではないかもしれません。もしそうなら、575km/hは出せていたものと思われます。
当ブログでも陸軍の一式戦闘機「隼」の性能に関して「一型」、「二型」と取り上げており、また零戦と比較したりハ115エンジンの性能についての考察も試みてきました。
そこで本記事では今まで取り上げてこなかった三型の性能についても考えてみながら、隼の性能を整理してみたいと思います。ただ隼の性能は分からないことが多すぎて、よく分からないことが改めて分かったというような文章になっていることをはじめにお断りしておきます。
一型の性能
まず第一に、隼一型の話から進めようと思います。一般に、隼一型の性能は、
最高速度 495km/h@4000m
上昇時間 5000mまで5分13秒
という数値が知られていたと思います。
この数値自体は一次資料『「キ43」操縦の参考』内にも見つけることのできるれっきとしたものなのですが、少し気になる点も存在しています。
まず495km/h@4000mという速度は、主タンクは満タンですが補助タンクに燃料を半分しか積んでいない「常装備」状態とされる条件で計測されたものと考えられ、機内の燃料タンクを満タンにした時の最高速度は与圧高度3700mで474km/hとされています。両者の重量には約200kgの差があり、速度差は約20km/hということになります。本当にそんなに差が出るのかという疑問はありますが、ともかくとして495km/hという数字にはこういう訳があります。なおエンジン回転数やブースト圧は不明です。
一方で5000mまで5分13秒というデータは、量産型の隼一型とは異なった主翼を備えていた機体の数字だと考えられます。旧陸軍の木村技術中佐のノートが防衛研究所史料閲覧室に所蔵されているのですが、翼面積を通常の22.0m^2から翼端を切断し21.4m^2とした試作8号機の試験結果として5000mまで5分12.5秒という数字が出てくるのです。それ以外の高度での上昇時間も『「キ43」操縦の参考』と一致しています。試験時の重量は1965kgとされ、これは常装備重量と想定されます。
それでは燃料満載時の上昇性能はどの程度だったのでしょうか。上述の『「キ43」操縦の参考』内には92オクタン燃料使用時の燃料満載状態での上昇時間も記載されており、例えば5000mまでは5分31秒との数字が残されています。なお、切断翼機のエンジン回転数は毎分2550回、92オクタン燃料使用機は2600回転となっていますが、オクタン価の差の影響がどこまであったかは疑問です。
ちなみに、切断翼機の試験ではもちろん最高速度の試験も行われているのですが、高度5000m~6000mで500km/hを計測しています。ただしこの速度はエンジン回転数が毎分2700回転で計測されており、離昇馬力での試験結果と考えられます。となると、冒頭の495km/hとの速度差が5km/hしかないことを考えると、この数値も離昇馬力で測定されたものなのかもしれません。この頃は「公称」=「離昇」だったり「高力」やら「最大」やらの用語があったりとエンジン運転条件が分かりづらく、最高速度の測定もいわゆる公称馬力ではなく許容最大馬力で測定されている例が見られるのです。
二型の性能
二型の性能は一型に比べて不明な点が多く存在します。一般によく知られるのは、
最高速度 515km/h@6000m
というものでしょう。上記の数字は二型の審査結果と考えられ、このときの上昇時間は5000mまで5分49秒とされています。以前の記事では零戦と比較した隼2型の低性能をエンジン運転制限によるものと考えましたが、上記試験は公称出力の規定通り毎分2700回転、吸気圧力+200mmHgにて測定されたものでした。そのうえで、主翼は22.0m^2、排気管は非推力式の集合排気管であったと考えられます。
一方で、隼2型はその生産期間を通じて絶え間ない改修が加えられています。性能に大きく影響しそうなところでは、カウリングの形状変更、翼端の切断(22.0m^2から21.4m^2へ)、推力式排気管の採用(集合排気管および単排気管)が挙げられます。一部書籍では短翼・集合排気管の性能が最高速度536km/h@6000mで上昇時間が5000mまで4分48秒としてそのソースを中島飛行機資料とし、短翼・単排気管の性能を(おそらく先述の木村技術中佐資料より)548km/h@6000mとしています。
これらの数値の妥当性について考えてみます。まず「536km/h~」という性能に関しては、そのもととなった中島飛行機の資料を見たことがありません。しかし、安藤成雄『日本陸軍機の計画物語』内に昭和16年10月時点の資料としてキ43性能向上型の最高速度が537km/h@6000mで上昇時間が5000mまで4分18秒という数字を見つけることができ、どうにも両者は似ているなと思っています。16年10月というタイミングでは、まだ二型の実機の完成前であり、データは計算値であるはずです。であれば中島飛行機に残されていたとされる数字も実飛行前の計算値なのかもしれません。実物資料を見てみないことには判断がなんともつきませんが。
続いて「548km/h~」という性能ですが、木村中佐のメモを見ると過給機一速時の最高速度は502km/h@2800mとなっています。それが非常に怪しいのです。というのも、515km/h@6000mを記録した長翼型の一速過給機での最高速度が高度3340mで504km/hなのです。空力的に洗練されたカウリング、切断翼と推力式排気管を備えていながら逆に遅くなっているなどあり得ないのです。ちなみに木村中佐は同時にエンジン回転数を「2600?」とも書いています。となれば、この一連の数値はハ115エンジンの運転制限下の性能とも考えられますが、ならばなぜ二速過給機では大きく速度が勝っているのでしょうか?いずれにせよ疑問の残るデータです。
一方で木村中佐のメモには、キ43IIの6932号機の数値として「560k/6000m」の記述もあり「n=2800ハspd出ヌ、2700ノ方ヨシ」とのコメントが付いています。6932号機という数字が正確であれば、昭和19年3月生産分の機体と考えられます。また、第59戦隊の南郷大尉の陣中日記には「二型は軽く550キロくらい出」るとあるそうですから、結局のところ隼二型の後期型は550km/h前後出ていたのは確かだと思われます。
三型の性能
三型の性能はさらに輪をかけて不明な点が多いです。そもそもハ115IIエンジンの詳細な性能すらまだよくわかっていません。そんな中、隼三型の性能は、最高速度が6000m付近で560km/h程度とされ、上昇時間は5000mまで5分19秒とのデータがあります。
例えば信用できる航本技術部作成の資料だと、560km/h@5850m、532km/h@9000mとの数字が残されていますし、木村中佐メモでは一速527km/h@3500m、二速555km/h@6100mとなっています。
しかしながら、二型が550km/h程度出せていたと考えると、これらの数字では性能向上がほとんどなかったということになってしまいます。三型は水メタノール噴射装置を追加したハ115IIエンジンを装備していたはずですから、20km/h程度の速度向上は期待してもいいはずです。丸2019年6月号の土井津たけお氏の記事におもしろい考察がありました。三型は落下タンク懸吊架の装備が標準化しており、これが約25km/hの速度低下を生んだのではないかとの話です。現に米軍は隼三型の最高速度を358mph(576km/h)と見積もっています。ただし、当然ながら懸吊架の話には確たる証拠があるわけではありません。
まとめ
という訳で、隼の各型の性能について考えてみました。各データの出所をつきつめていくと、余計に訳が分からなくなっていくことが分かって頂けたのではないでしょうか。
簡単にまとめると、まず一型は最高速度は500km/h程度と考えられますが、もしかしたら離昇馬力で計測されたものかもしれません。速度も上昇時間も重量の条件をよく確認しておく必要があります。
二型は最高速度が最初期の515km/hから後期型の550km/h程度まで向上しましたが、翼面積の減少や排気管の変更等が影響したものと考えられます。エンジンの運転制限の影響はよく分かりません。
三型の最高速度は二型の後期型とあまり変わっていませんが、これは懸吊架による影響かもしれませんし、そうではないかもしれません。もしそうなら、575km/hは出せていたものと思われます。