はじめに
 「第二次大戦で最も運動性の優れた戦闘機は何か?」と問われたら、零戦と答える人も少なくないのではないでしょうか。軽量化を徹底し、そのサイズと比較して大きな主翼を持つ本機は、零戦52型に関する米軍レポートをして「零戦とは格闘戦をしてはならない」と言わしめています。
 それならば、なぜ米戦闘機は零戦はじめ日本の戦闘機に対して有利に戦闘を進めることができたのでしょうか?それには戦術的な問題、乗員の問題、装備の問題、物量の問題など数多くの要素が絡んでいるため、答えることは容易ではありません。しかしながら、零戦はじめ日本軍機の持つ操縦上の特性という観点で考えるのであれば、「高速時の劣悪な横転性能」が挙げられます。確かに零戦は特に低速域については非常に良好な運動性能を持ち、高速域においても昇降舵・方向舵の効きは保持されていましたが、補助翼が高速飛行時に非常に重くなるという欠点を持っていました。
 最初に引用した米軍レポートでは、高速時に非常に重くなる補助翼の傾向から「零戦52型に後ろにつかれた場合は、横転、急降下、高速旋回で引き離せ」と書かれており、零戦が得意とする低速・低高度の格闘戦の土俵にそもそも上がらないよう勧告されています。格闘戦に乗ってくれない以上、零戦は速度に勝る敵戦闘機に対して受動的にふるまうしかなく、たとえ熟練したパイロットであっても「墜とされないが墜とせない」状況となってしまいました。

具体的なデータの検討
 それでは、零戦の横転性能は具体的にはどの程度のものだったのでしょうか。よく引用されるのは以下に添付するNACAレポートNo.868の図47のグラフだと思います。
roll rate
 このグラフを見る限り、確かに零戦(21型と考えられる)の横転率(ロールレート)は最低レベルであることが確認できると思います。が、果たしてこのグラフをそのまま鵜呑みにしても大丈夫なのでしょうか?これは高度10000ftにて各速度(IAS)における50ポンドの力で操縦桿を操作した場合の横転率(度毎秒)を示したものですが、零戦のみ何ポンドなのか不明となっています。これは非常に大きな問題で、高速時は舵が重くなるのでそこまで影響はないかもしれませんが、低速時の横転率に対する影響は著しいものがあると考えています。

次の画像を見てください。
hamp roll rate
 これは英軍が鹵獲した零戦32型とスピットファイア(とトマホーク)の横転率を比較したグラフです。赤が零戦32型の左回転、青が右回転で、オレンジがスピットファイアです。横軸の速度はEASを使用しています。これを見る限り、零戦はスピットよりも低速で大きく上回り、高速時でもほとんど差はないように見えます。見えますが、しかしここには数字のトリックが隠されています。零戦は50ポンドの力で操舵しているのですが、スピットは30ポンドなのです。
hamp roll rate2
 上の画像は、共に30ポンドの力で操舵した場合の横転率を表しています。あれだけ優秀に見えた零戦32型の低速での横転率もこのスピットと比較するとそこまで極端な差はなく、逆に高速時の差が開いてしまっていることが分かります。
 以上のことより、操舵力が不明のデータを使用して零戦の横転率を判断するのは全く不適当と考えます。

もう少し正確な横転率比較の提案
 ということで、上で紹介した零戦32型の操舵力50ポンドでの横転率グラフをNACAレポートNo.868に重ねてみようと思います。要注意点として、NACAのものはIAS、英軍のものはEASを使用しているということがありますが、高度10000ftでのCAS380mphにおけるEASは375mphと5mph程度の範囲内に収まることから許容できる程度の差と判断しました。

hamp roll rate4
分かりやすいように、零戦のライバルとなる機種にも色を付けています。
赤・・・零戦32型(左回転)
青・・・零戦32型(右回転)
緑・・・零戦21型(操舵力不明)
オレンジ・・・スピットファイア(金属エルロン)
灰色・・・スピットファイア(羽布エルロン)
水色・・・F4F-3
紫色・・・F6F-3
となっています。書いてて思いましたがP-40Fにも色を付けてあげればよかったですね。

 さて、表の中身を見てみると、やはり零戦の高速時の横転率は結局最低レベルにあることが確認できると思います。併せて、タイフーンや羽布スピットの横転率も零戦に負けず劣らず悪いことが分かります。逆に、低速時の零戦の横転率は高い水準にあり、160mphにおいてはFw190にも並ぶほどとなっています。しかしながら200mphを超えるころからこの優位性は次第に失われていき、250mphを超えるとほとんどの機体よりも劣ってしまいます。
 一方で米海軍機は全体として見ると決して横転性能は良好とは言えませんが、少なくとも零戦に対しては250mph以上で良好な横転率を示しています。

横転率を良くするには?
 それでは横転率向上のためにはどのような方策が考えられるのでしょうか。これにはいくつかの手段がありますが、低速時・高速時で手段が異なるのもまた事実です。
 例えば低速時の横転性能を高めるためには、大きく、軽量な補助翼があると良いのですが、これは高速時の横転性能を悪化させます。高速時の横転性能を良くするには、主翼の剛性を高め、エルロンを金属張りにするなどの手段がありますが、重量増加に繋がり低速時の横転性能を悪化させてしまいます。
 全般的な方策としては、翼幅を小さくしたり、操舵力軽減のためにタブを装備したりパワーアシストをつけたり、飛行速度によって使用する補助翼を分けたり、などが考えられますが、結局のところ設計者・使用者がどの速度域を重視し、どの程度の操舵力を許容するかに尽きると思います。
 零戦であれば、そもそも21型の初期の段階で横転性能の悪さは指摘されており、タブの導入や翼端の短縮によって解決が図られてきました。また主翼の剛性も段階的に高められており、日本海軍が横転性能に全く無頓着であったという訳ではありません。しかしながら、主眼をおいていたのはあくまで低速時の横転性能であったとこは疑いようがないと考えます。艦上戦闘機という特性上、特に低速時の操舵に力点を置いていたこともあるでしょう。

まとめ
 以上のことを踏まえて、まとめに入りたいと思います。結論として、零戦の高速時の横転性能が劣悪だったことは間違いありません。一方で、横転性能全般が悪かったわけではなく、低速時の横転性能は少なくとも32型以降については良好な部類に入ります。
 横転性能について(当然横転性能だけの話ではないが)、低速~高速のどこにピークを持ってくるかは設計次第であり、あちらを立てればこちらが立たないという話になります。今回紹介したグラフを見る限り、日本や初期の英軍は低速時を重視し、米海軍は全速度帯を通じてなるべく同等の横転率となるように調整しているように見えます。一方で米陸軍は高速時の横転性能が良好となっています。

 航空機の設計は全体のバランスを常に考えながら行われています。我々は後知恵であれはこう、これはこうと色々言ってしまいがちですが、当時の状況や運用思想を考慮する必要があると思います。そのうえで言えることがあるとすれば、
「もう少し高速時の横転性能に気を配っても良かったのでは?」


参考資料
米軍レポート(PDF)
英軍レポート(PDF)
※WWII Aircraft Performanceより
NACAレポートNo.868(PDF)