はじめに
 紫電11型は1,000機を超えるその生産数の割には存在感の薄い機体になってしまっています。後継の紫電改があまりにも有名になりすぎてその陰に隠れてしまっており、その性能についてもよく整理されているとは言い難いでしょう。
 今回はその紫電11型の性能について考えていきたいと思います。

紫電11型とは?
 いつも通り簡単な機体説明から参ります。紫電を開発した川西航空機は97式大艇や2式大艇などの傑作飛行艇を世に送り出した水上機を得意とするメーカーで、飛行場の整備されていない太平洋上の島々のための水上戦闘機を開発するよう海軍に命じられます。これは開戦前の1940年のことで、この計画は十五試水上戦闘機と呼ばれました。
 ところが本機は太平洋戦争の開戦には間に合わず、「強風」として制式採用されたのは既に水上戦闘機が必要ではなくなった43年になってからでした。結局大事なときに活躍したのは零戦を水上戦闘機に急遽転用した二式水戦でした。
 一方川西側でも水上機だけの生産では会社の経営は苦しくなるだろうと考えており、開発の進んでいた強風の設計を流用して短期間で陸上戦闘機を開発することを41年12月海軍に提案。本命の雷電の保険としての意味合いもあって仮称一号局地戦闘機として計画は了承され、翌42年12月に1号機が完成しました。搭載していた誉エンジンが当初の馬力を出せず予定性能には全く届かなかったものの、少なくとも零戦よりは高速で武装も強力であったことから43年8月から量産に入りました。
 機体は強風の設計を流用した中翼配置でした。そのため主脚がどうしても長くなってしまい伸縮機構が取り付けられましたが、これに起因する故障がかなり多かったようです。
 武装は20mm機銃4門と重武装で、当初は翼内に1門、翼下にガンポッド形式で1門を各翼に装備していましたが、改修型である紫電一一乙型ではすべて翼内装備となっています。
 最終的に千機以上が生産されフィリピンの戦いや沖縄戦、本土防空戦に参加しましたが、優勢な敵軍を前に終始苦しい戦いを強いられました。
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計画性能値
それでは性能の話に入っていきます。まずは計算上の計画性能値から。

最高速度 298kt(552km/h) @ 0m
     353kt(654km/h) @ 6,000m
上昇時間 2,000mまで 1'45"
     6,000mまで 5'50"
実用上昇限度  12,100m
絶対上昇限度  12,250m

この数字は公式の取扱説明書に記載されているものです。
もしこの数値通りの性能が発揮できていれば超優秀機なのですが、実際はそうではありませんでした。

実測性能
計画に反し、実際のテストの結果は以下のようであったと伝えられています。

最高速度 290kt(537km/h) @ 3,000m
     308kt(570km/h) @ 5,600m
上昇時間 6,000mまで 7'00"
実用上昇限度  10,000m

 これが何号機で計測されたものなのかは不明で、そのため単排気管や補助冷却器の有無などは分かりませんが、ここまでの計画値割れの原因は誉エンジンのせいと考えられます。
離昇2000馬力の誉21型搭載として計算されていましたが、実際には運転条件を落として離昇1820馬力とした誉11型を装備していました。
〈参考:http://warbirdperformance.livedoor.blog/archives/2874860.htmlhttp://warbirdperformance.livedoor.blog/archives/3700030.html
他にも予定になかった翼下ガンポッドの追加や工作の不良などが性能不足の原因として指摘されています。

他にも、海軍の性能表には315kt(583km/h)@5,900mという数値(6,100mという数値もあり)も残されており、こちらがよく知られている紫電11型の最高速度ではないかと思います。このデータについても機体のコンディションが全然分からないのですが、エンジン運転制限下での実測数値であることにまず間違いはないと思われます。

それ以外の性能値
 上記に紹介した以外にもいくつか数値を見つけました。ひとつは別冊航空情報『設計者の証言 上巻』で紫電の設計者菊原静男氏がさらーっと書いている「高度6,000mで320kt(593km/h)」という数字です。※添付画像参照
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 それ以外にも、米軍が戦地で鹵獲したノートによると「44年4月に最終試験が予定されており、誉10シリーズエンジンを装備し、高度6,000mで325kt(602km/h)を発揮する」との記載があります。(JICPOA BULLETIN No.94-44 1944/5/2)
 このノートの原文を見たことはないのですが、菊原氏やこの記述を見ると、今まで思われていたよりも紫電はスピードが出るようです。考えてみると、紫電改が運転制限下で620km/hを出すことができたなら紫電が600km/h近い速度を出すことができていても不思議ではないはずです。

まとめ
 まとめに入っていきましょう。紫電の性能はエンジンの運転制限によって計画値を大きく下回ってしまいましたが、今まで思われていたよりもスピードを出すことができていた可能性があります。
 ここで戦後に出版された書籍での紫電のデータについてひとこと。海軍が公式にまとめた性能表がいろいろなソースのつぎはぎとなっていて、最高速度が583km/hなのに上昇時間が6,000mまで5分50秒、上昇限度が12,100mとなっているせいで戦後の出版物もこの数値を紹介しているものが多いです。ここまで読んで頂いた皆様にはお分かりかと思いますが、計画値とそうでないものの区別はしっかりとつけるよう注意しなければなりません。
 『丸メカニック記載』の紫電の上昇時間は「強風」のデータというとんでも落とし穴もありますから、本記事では信頼できるデータを提供できるように頑張っていきます。
 また、紫電の上昇性能について6,000mまで7分50秒とする出版物もいくつか見られます。実は私はこれにも少し疑問を持っています。というのも戦時中の一次資料にこの数値を見つけることができないからです。もしかすると、5分50秒という数字が「妙に良すぎる」と思った誰かが紫電改の6,000mまで7分22秒という数字を見て「紫電改よりも良いはずがないから」と7分50秒の誤記だと勘違いしたのかもしれません。しかしながら紫電の全備重量は紫電改よりも軽いので(海軍性能表なら紫電3900kg・紫電改4000kg。取説なら紫電3750kg・紫電改3800kg)、同じエンジンで同じ翼面積なら紫電の方が上昇性能が良くても別におかしくはないと思います。実際6000mまで7分というデータが残っていますから。

 さて、今回の記事はこんな感じですが、紫電の性能については未知の部分が多く、まだまだ調査を進めていくつもりです。次回がいつ書けるか分かりませんが、気長にお待ちいただければと思います。